和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

五月雨の『速し』・『涼し』。

2022-05-16 | 詩歌
ブームだと、他を巻きこむ、うねりとなりがちなのですが、
マイ・ブームなら、そんなことなく、余裕での楽しみです。

たとえば、ネット古本を注文するのに個人的な興味なら
ブームが去ったのちの安値が期待できる。なんてことで、
私は安いネット古本へと、ついつい手を出しております。

今回紹介するのは『とくとく歌仙』(文芸春秋・1991年)。
丸谷才一・大岡信・井上ひさし・高橋治の名前があります。
本のはじまりには丸谷才一と大岡信による『歌仙早わかり』
(40ページほど)が載っており、ありがたい。

「 モンローの伝記下譯五萬圓 」が載っていた「歌仙」
(青土社・1981年)からでも、10年の歳月が流れています。
お二人の実際の歌仙体験をまじえての対談『歌仙早わかり』。

はい。そこから一箇所引用してみます。

丸谷】 発句・脇句・第三に話をすすめましょう。
    歌仙の発句でいちばん大事なのは、
    現代俳句ではダメだということですね。

大岡】 端的にいうとそうなりますね。   (p11)


こうして、幾人かの俳句を引用したあとでした。


丸谷】・・・・たとえば芭蕉は、一句立ての発句と
   歌仙の発句とは違うものだということを
   よく知っていたと思うんです。

       五月雨を集めて速し最上川

   これは一句立てのときですね。歌仙のときには、

       五月雨を集めて涼し最上川

   になる。『涼し』だったら、脇がつくんです。
   『速し』だったら脇がつかないと思う。

大岡】 その、『速し』と『涼し』というのは、いい例ですね。
    芭蕉が『奥の細道』でその句をつくったとき、
    二つの案を考えたんですね。

   『涼し』の場合、『涼しい』という言葉のなかに、
   すでに他者に対する呼びかけがあるわけです。

  『おい、この流れをみてると涼しい気分になるじゃないか』
  と言っていると同時に、客を迎えてくれた主人ならび同志の
  人々の心やりの『涼しさ』への挨拶でもあった。

  ところが、『速い流れだな』という場合には、
  風景がつきはなされて描かれ、それでおしまい
  という感じになるわけですね。

  発句というのは一句できちんと立ってなければいけない、
  丈高くたっている必要がある。・・・・
  その丈高いことは、威風堂々とあたりをはらってることだけど、
  同時に・・その丈高い姿がけっして猛々しくはなくて、
  むしろどこかに柔らかさを含んでおり、他人への呼びかけがある。

  その呼びかけの言葉も、・・言外の余情として他の人に呼びかける、
  そういう気持ちが含まれてることが、
  連句の発句では必要な条件だったと思うんです。

  さっき丸谷さんがあげた現代俳人たちの作品は、
  そういう意味では、言い切っている。
  きびしく自分の世界を守っていて、
  他の人が近づくことをむしろ拒否するところで、
  丈高さを競ってると思うんです。

丸谷】 そうなんですね。        ( ~p14 )


はい。何だか、この箇所を忘れられないので引用しました。

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2 コメント

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おはようございます(^^♪ (のりピー)
2022-05-16 09:53:10
とても分かりやすくて、ピーマン頭も素直に納得です。 連句の発句には余情として他の人に呼び掛ける気持ちが必要条件となる・・・
現代俳人にはかなり厳しい言葉ですね。
返信する
今日も雨。 (和田浦海岸)
2022-05-16 10:04:19
おはようございます。のりピーさん。
コメントありがとうございます。

こちらは、雨が降っています。
と書いたら思い浮かんだ詩がありました。
なので、その詩を引用しておくことに。

  てがみ  岸田衿子

 どうしていますか
 こちらは まひるの星が出ています
 つかれましたか  
 もうじき 新しい椅子が届きますよ
 いま 南に向いた岬では
 さやえんどうの出荷です
 午后は 雨です
 なに色の傘さして でかけますか
 夕かた 林の道の奥で
 オーボエがなるのを聞くでしょう
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