「万葉百歌」(青灯社)で気になった
山本健吉・池田彌三郎著「萬葉百歌」(中公新書)届く。
まずは、序をひらくと
山本健吉氏が最初に書いております。
そのはじまりは
「何度読んでも読み飽きない日本の詩集としては、
私は萬葉集と芭蕉七部集とを挙げる。
読むたびに、何か新しい発見があるのだ。
おそらくこの二冊は、
日本人にとっていつまでも心の支えとなり、
魂の故郷となるような詩集であろう。」
すこし先には
「小倉百人一首式の優雅な歌が、
つまり日本の歌というものだと思っていた私に取って、
萬葉集を見出したことは大きな驚きであった。・・・」
つぎの、池田彌三郎氏の序の言葉は
こうはじまっておりました。
「去年、柳田国男先生がなくなられて、その葬儀の帰りに、
山本健吉、加藤守雄両氏と民俗学や国文学の将来などを
語り合っているうちに、三人で萬葉集の輪講を始めよう
というような話が出た。三人とも慶應義塾大学の
国文学科で、折口信夫先生の指導をうけた者であるから、
師説から出発して、萬葉集について自由な考えを出してみよう、
というようなつもりであった。ところが・・・・」
さてっと、山本健吉氏は
「萬葉集」と「芭蕉七部集」の二冊をあげておられる。
ちょっと「芭蕉七部集」に触れておきたくなる。
伊藤正雄著「俳諧七部集芭蕉連句全解」(河出書房新社)
の序説のなかで、伊藤氏はこう書いておりました。
「われわれが日本人として、当然祖先伝来の文化遺産を
継承するためにも、連句が与へる示唆はまことに大きいのである。
〇
右と関連してさらに見のがせぬのは、
連句は国語の宝庫であり、
日本人の表現生活の結晶だといふことである。
万葉集はしばらく措き、平安朝の昔から江戸時代の末に
至る千年間の和歌を見ると、あまりにも語彙の窮屈、
発想の単調に驚かざるを得ない。よく倦きもせずに、
千年間、千篇一律の歌を詠み続けたものと、
歴代歌人の辛抱強さに呆れるばかりである。
しかるに、目を俳諧(連句)の世界に転ずると、
その語彙の無尽蔵と発想の自由さに、
応接のいとまなさを禁じ得ない。
それは、和歌のマンネリズムにあきたらぬ
近世庶民の智恵の産物である。五七五の長句、
七七の短句の中に、それぞれ複雑微妙な
詩趣詩想を盛込むために、より自由で、簡潔で、
含蓄の多い俳諧独特の語彙・語法が発達した。
それは、日本語としてギリギリの極限にまで
練り上げ鍛へ上げられたエキスともいへよう。
そこには、伝統和歌を一応吸収しながら、
遥かに滋味に富んだ多種多彩な表現がある。」
ことしのはじめに
小倉百人一首への興味をもった私ですが、
つぎは、万葉集と芭蕉七部集へと道がひらけた。
そんな気がしてきました。
芭蕉といえば、そういえば、
この道や行(ゆ)く人なしに秋の暮
というのがあったなあ(笑)。
山本健吉・池田彌三郎著「萬葉百歌」(中公新書)届く。
まずは、序をひらくと
山本健吉氏が最初に書いております。
そのはじまりは
「何度読んでも読み飽きない日本の詩集としては、
私は萬葉集と芭蕉七部集とを挙げる。
読むたびに、何か新しい発見があるのだ。
おそらくこの二冊は、
日本人にとっていつまでも心の支えとなり、
魂の故郷となるような詩集であろう。」
すこし先には
「小倉百人一首式の優雅な歌が、
つまり日本の歌というものだと思っていた私に取って、
萬葉集を見出したことは大きな驚きであった。・・・」
つぎの、池田彌三郎氏の序の言葉は
こうはじまっておりました。
「去年、柳田国男先生がなくなられて、その葬儀の帰りに、
山本健吉、加藤守雄両氏と民俗学や国文学の将来などを
語り合っているうちに、三人で萬葉集の輪講を始めよう
というような話が出た。三人とも慶應義塾大学の
国文学科で、折口信夫先生の指導をうけた者であるから、
師説から出発して、萬葉集について自由な考えを出してみよう、
というようなつもりであった。ところが・・・・」
さてっと、山本健吉氏は
「萬葉集」と「芭蕉七部集」の二冊をあげておられる。
ちょっと「芭蕉七部集」に触れておきたくなる。
伊藤正雄著「俳諧七部集芭蕉連句全解」(河出書房新社)
の序説のなかで、伊藤氏はこう書いておりました。
「われわれが日本人として、当然祖先伝来の文化遺産を
継承するためにも、連句が与へる示唆はまことに大きいのである。
〇
右と関連してさらに見のがせぬのは、
連句は国語の宝庫であり、
日本人の表現生活の結晶だといふことである。
万葉集はしばらく措き、平安朝の昔から江戸時代の末に
至る千年間の和歌を見ると、あまりにも語彙の窮屈、
発想の単調に驚かざるを得ない。よく倦きもせずに、
千年間、千篇一律の歌を詠み続けたものと、
歴代歌人の辛抱強さに呆れるばかりである。
しかるに、目を俳諧(連句)の世界に転ずると、
その語彙の無尽蔵と発想の自由さに、
応接のいとまなさを禁じ得ない。
それは、和歌のマンネリズムにあきたらぬ
近世庶民の智恵の産物である。五七五の長句、
七七の短句の中に、それぞれ複雑微妙な
詩趣詩想を盛込むために、より自由で、簡潔で、
含蓄の多い俳諧独特の語彙・語法が発達した。
それは、日本語としてギリギリの極限にまで
練り上げ鍛へ上げられたエキスともいへよう。
そこには、伝統和歌を一応吸収しながら、
遥かに滋味に富んだ多種多彩な表現がある。」
ことしのはじめに
小倉百人一首への興味をもった私ですが、
つぎは、万葉集と芭蕉七部集へと道がひらけた。
そんな気がしてきました。
芭蕉といえば、そういえば、
この道や行(ゆ)く人なしに秋の暮
というのがあったなあ(笑)。
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