今日になって、関東大震災について、思い浮かんだのは、
筒井清忠著「西條八十」(中公叢書・2005年)でした。
その箇所を引用。
「・・(西條)八十は月島にいる兄英治夫婦の許に向かった。
件の兄は例の芸者と月島に住んでいたのだが、
月島が海底に沈んだという流言が流れ案じられたのである。
しかし、大混乱の中容易に前へ進めず結局、
夜を上野の山で過ごすこととなった。深夜、疲労と不安と飢えで、
人々は化石のように押しだまってしゃがみ、横たわっていた。
しゃがんでいた八十の隣の少年がポケットから
ハーモニカをとり出し吹き出そうとした。
八十は一瞬、周囲の人々が怒り出すのではないかと案じ、
止めようとしたが少年は吹きはじめた。
『 それは誰も知る平凡なメロディーであった。
だが吹きかたはなかなか巧者であった。
と、次いで起った現象。―― これが意外だった。
ハーモニカのメロディーが晩夏の夜の風にはこばれて
美しく流れ出すと、群集はわたしの危惧したように怒らなかった。
おとなしく、ジッとそれに耳を澄ませている如くであった。 』
人々は、ささやき出し、あくびをし、手足をのばし、
ある者は立ち上がって塵を払ったり歩き廻ったりした。 」(p102)
これについては、注釈の箇所も引用しておかなきゃ。
「 すぐれた八十研究者上村直己は『西條八十とその周辺』において
『 これはにわかい信じがたい 』としている。・・・・・
筆者には、大地震後人々が音楽でいやされる映画
『桑港(サンフランシスコ)』(w・s・ヴァン・ダイク監督 1936年)
との共通性の方が印象的である。 」(p128)
うん。つぎに思うのは、震災直後の不安のなかで
私なら、どんな平凡な曲が聴こえてくればよいだろう?
それとも、曲は聴きたくないのだろうか?
ダメだ。広報が繰り返し鳴り響いている場面しか思い浮かばない。