和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

Voice。

2007-08-10 | Weblog
そういえば、月刊雑誌「Voice」9月号。
この雑誌は、そんなに読まないのですが、パラパラとめくってみると、
その連載の顔ぶれにあらためて驚かされます。
「巻頭の言葉」は古森義久。
そのすぐ前に「解剖学者の眼」第66回とあり写真入りコラムで、養老孟司。
最後の「巻末御免」は谷沢永一。
連載には「私日記」第93回の曽野綾子。
ほかの連載は福田和也・上坂冬子とあり、
連載第三回の渡部昇一。
そのほかに特集と緊急企画が中心を占めておりました。

巻頭・巻末。そしてコラム・連載と気になるのですが、
特集・緊急企画に興味がわかない私は、まずは、買うかどうかと迷います。

620円。
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はしにも棒にも。

2007-08-09 | Weblog
小西甚一著「古文研究法」(洛陽社)を読もうとおもったのですが、私には歯がたたない。どこからとりついてよいのかわからない。しかたないので高校の教科書、古典古文編・漢文編(第一学習社)をひらいて見ております。
そうしたら、漢文編の中に「日本の詩」とあり、3人の漢詩。菅原道真・管茶山の次の人が正岡子規。子規の「送夏目漱石之伊予」という漢詩が載っていてほっとします。
そういえば、高島俊男著「漱石の夏やすみ」(ちくま文庫)に、
こんな箇所がありました。「子規は木屑録をよんで、個別部分に関する批評はそれぞれの箇所の上部にしるし(これを眉批という)、おしまいに総評(感想文のようなもの)を書いて漱石にかえした。その全文はこの本の巻末につけてある。・・・例によってはしにも棒にもかからない悪文――いや悪文をとおりこした【非文】だが、そこはおたがい日本人どうし、いいたいことはわかる。・・はなしのすじみちもはなはだとおりがわるいが、とにかく、『きみのごときは千万年に一人』とほめていることはたしかである。明治41年に漱石はこうかたっている。・・・・漱石は子規の漢詩文の能力をいっこう買っていなかったのだが、しかし19年後にまだおぼえているところを見るとやはり漱石も人の子、ほめられたのはうれしかったのである。」(p227~231)
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蓋棺録・エンマ帖。

2007-08-08 | Weblog
今年は月刊誌「文藝春秋」の創刊85周年特別キャンペーンだそうで、一年間の定期購読をすると送料無料にて自宅へと送ってもらえます。さっそく申し込んでみると、発売日は10日ですが、大抵は2~3日早めに送られて来るのでした。ということで9月号が、もう手元に届いております。
さっそく私が開いたのは雑誌の最後の方に載っている蓋棺録(がいかんろく)でした。まず最初には河合隼雄が取り上げられております(阿久悠はまだ、9月号では亡くなっておりませんでした)。河合隼雄の追悼紹介文は1ページとちょっとですが、ただの経歴紹介とは違って、その人の全体を俯瞰できる情理かねそなえた、すばらしい人となりの紹介となっておりました。丁寧に咀嚼された内容で、このままに、中・高校生に読ませたくなるような、分かりやすくも感銘の短文になっておりました(こうして褒め言葉を重ねると、かえって軽めに感じちゃうでしょうか?)。うん、ほかの人はいざ知らず。私はこれを読めて満足です。

それから、蓋棺録よりすこし前にある「新聞エンマ帖」も見てみました。
最初に新聞の一面コラムを取り上げております。ちゃんとした批判なのですが、
ちょいと褒めていたりします。たとえば「文章の質の高さでは現在、群を抜く読売『編集手帳』」とさりげなく、書いてあったりします。

辛口の味わいとしては、こんな箇所。

「毎日の『余録」にも苦言を呈しておく。7月18日付で新潟県の中越沖地震の話題をとりあげ、鈴木牧之の『北越雪譜』を引用していたが、2004年10月の中越地震の際にも使ったし、昨年1月にも大雪の話題で取り上げたばかりではないか。この本はコラムの筆者の好みに合うらしく、04年の中越地震の際には日経『春秋』、産経『産経抄』、それに読売夕刊一面の『よみうり寸評』までが引用していた。雪の話題ならば『北越雪譜』でいっちょあがり、という発想の貧困が問題なのだ。・・」

新聞を読んでいる人の、こんな指摘には、各一面コラムニストが襟を正すキッカケとなるのでしょうね。それにしても、私は「北越雪譜」をいまだ読んではいないので、ちょいとコラムの話題にはついていけないのでした。
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社保庁記者クラブ。

2007-08-07 | Weblog
阿久悠氏の新聞での追悼文を読みました。
私が読んだのは少ないのですが、以下
産経抄(2007年8月2日)
読売新聞の編集手帳(8月4日)
読売新聞の山折哲雄「阿久悠さんを悼む」(8月2日)
産経新聞の篠原正浩「朴訥な人柄、奔放な感性」(8月4日)

さて山折哲雄氏は、その追悼文の最後をこうしめくくっておりました。
「阿久悠こそ、われわれが忘れ去ってしまった叙情の原風景を現代に蘇らせた、まれな詩人だったとあらためて思う。」

8月2日の産経抄の最後の方には
「阿久さんは若者の言葉の乱れは、彼らの魂を揺さぶる警句がないからだと喝破した。メディアにはさらに厳しく、『批判が悪いと社会は緊張を欠き、堕落する』と叱った。・・」

メディアということで、思い到るのは昨日(8月6日)の産経新聞連載の曽野綾子さんの「透明な歳月の光」(254回)でした。題して「若い世代の閣僚 日本語力の無惨な形骸化」でした。
その最後で曽野さんは、ついでのように、こう語るのでした。

「しかし考えてみれば、社保庁の杜撰さを放置したのは歴代長官と自民党の議員たちだけだったのではない。その間野党の全議員たちと公労協は何一つ声を上げなかった。さらに責任を問いたいのはマスコミである。彼らは長年社保庁の中にある記者クラブにいながら何一つ見抜けなかったのだ。(もちろん産経新聞もですゾ!)」

そのひとつ朝日新聞は、どうしているのか、という最近事情を「花田紀凱(かずよし)の週刊誌ウォッチング」(産経新聞8月4日)が教えてくれております。
その最初を引用してみます。

「朝日新聞の異常な安倍叩きがまだ続いている。朝日自身による参院選後の緊急調査でも『首相は辞任を』47%、『続けてほしい』40%とそれほど差がないし、自民大敗については『原因が安倍首相にある』34%、『そうは思わない』59%という数字なのに『首相の続投 国民はあぜんとしている』(7月31日社説)。『週刊朝日』(8月10日号)や『AERA』(8月6日号)まで動員、朝日新聞全社挙げての安倍叩きにはそれこそ『あぜん』とする。ちなみに読売の世論調査では『続投を評価する』44%、『評価しない』45%と拮抗(きっこう)。<歴史的大敗>とやらでテレビも新聞も安倍批判一色。・・・・」

さて、社保庁にある記者クラブも、社保庁が無くなれば消える運命なのでしょうか。それとも、まだ記者クラブを死守するのでしょうか。この問題を、新聞は語らず(テレビはなおさら)、ひとり産経での曽野綾子さんが指摘してくれたわけです。

思えば、産経新聞の土曜日連載が「阿久悠 書く言う」。
月曜日連載が「曽野綾子の透明な歳月の光」とつづいていたのでした。
その片割れを、もう読めなくなったわけです。
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距離を作れない。

2007-08-06 | Weblog
ここのところ、河合隼雄さん、阿久悠さんと続いて亡くなられたのでした。
この欠落感はなんだろう。と思っています。
阿久さんは産経新聞に連載をしておりました。
河合さんは雑誌・新聞等にさまざまな形で連載をされていたのが思い浮かびます。
そういう接点での、随筆を読めなくなってしまったという欠落感を身近に感ずるのです。
ところで、
今日の読売新聞(2007年8月6日)に吉田直哉さんの連載を読めました。読めてよかった。言葉を聞けてよかったと感じました。そこにこんな箇所があります。少し長めですがご勘弁していただいて引用します。

「一週間前、米下院本会議で従軍慰安婦の問題がとりあげられ、対日非難決議案が圧倒的多数で採択された、・・・他の国の過去を掘り返しても人権を守る必要があるのなら、日本の国会も、アメリカ先住民がいかに圧殺され、駆逐されたか、その長い歴史をとりあげ、謝罪要求をしたらいいだろうと思う。しかし、そんな子どもじみた非礼な仕返しはできないから、黙ってこらえる。問題は、こらえて黙っているのは自分だけで、周囲はみな他人に謝らせることはうまいが、本人は絶対に謝らないという連中で、しかもそれが結束している、ということだ。たとえば、旧日本軍が無差別爆撃を行ったことを非難する『南京』という映画がアメリカでつくられ、中国で公開された。その空爆の記録フィルムの一部を見たが、これを無差別爆撃というなら、太平洋戦争末期、日本中の都市が浴びせられたあの常軌を逸した爆撃を、いったい何と呼べばいいのか。小さい都市まで、その町の姿に沿ってまず円環状に焼夷弾を落とされ、炎の檻(おり)によって退路を断たれてから、おもむろにまず中心部から、油脂燃料と焼夷弾をばらまかれたのである。あの戦術に、殺意以外の何か正当化できる意図があったのか、私たちはまだ聞いたことがない。・・・・このあいだの『久間発言』のときも、『ヒロシマ、ナガサキの犠牲者のおかげで、何百万人もの日本人の命が救われたのだ』と米政府高官はその信念を公表した。しかしこのロジック、各地のテロリストが聞いたら、大喜びで自分の行為の正当化に使うのではないか、と心配である。・・」

この文のはじまりは、こうでした。
「毎年とりわけこの時期がくると、われわれ日本人の腹は、破裂もせずよく膨張に耐えるものだとつくづく感嘆する。」


あるあとがきで、養老孟司さんは、吉田直哉さんのことをこう書いておりました。
「吉田さんの随筆は私は大好きである。実際に仕事で動きまわった人でないと、ああいうことは書けないし、その体験が十分に消化されて、距離ができてこないと、ああいう味は出ない。そういう距離を一生作れない人も多いのではないか、と思う。」(対談「目から脳に抜ける話」ちくま文庫)

たぐいまれなる距離感をもつお二人が亡くなり、その空席は埋めようもなく。
ただその喪失感を埋めるべく、つぎの言葉を探し始めている自分がいるのでした。
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北京本屋事情通。

2007-08-05 | Weblog
ほんねこさんのブログ「書迷博客」。
そこで最近6回にわたって(7月30日~8月4日)「北京の書店」の紹介が載っておりました。これが楽しくて、読み甲斐があります。
ひと区切りの6回目には「潘家園旧貨市場は毎週土日に開かれる巨大な骨董市」の紹介でした。それを読んでいたら、そういえば、と思ったわけです。

漱石はロンドンで古本を購入していたのでした。
清水一嘉著「自転車に乗る漱石 百年前のロンドン」(朝日選書)
その第6章は「古本屋めぐり」でした。こうはじまります。

「1900年(明治33)から約二年間ロンドンに滞在した漱石は、その間多くの本を買っている。・・その数についてはつぎのような推定がある。『月額百五十円の留学費のうち、五十円程度は毎月書物費にあてていたのではないかと思われる。・・二年間に費やされた書物代は、大雑把に見て千二百円程度であろう。おそらく、これによって購入できた洋書の数は、最低でも四百冊、多く見積もれば五百冊から六百冊に達したと思われる』(出口保夫「ロンドン漱石文学散歩」)。漱石はこれらの本のほとんどを古本屋で買ったと考えられる。・・」(p52)
こうして、どんな古本屋に立ち寄ったかを調べておりました。
たとえば、こんな様子も調べております。
「ここでは毎週土曜日の午後に古本市がたったという。つまり、店舗をかまえた古本屋ではなく、手押し車に本を満載した古本屋がその日だけやってきて店を並べる。かれらはウィークデイは自分たちの本業(それが何であれ)に専念し、土曜日の午後になると路上に店開きし、道ゆくひとに本を売った。・・・・有名なのはファリンドン・ストリートの古本市で、毎週土曜日の午前中に30台から40台の手押し車が道路に沿って延々と並んだ。こういう古本屋の魅力はなんといっても本が安いことで、漱石もその魅力にひかれてしばしば訪れたのだろう。1901年4月13日の土曜日には、エレファント・アンド・カースルでW・スミスの『聖書辞典』とE・スペンサーの作品集など全部で33円分を買っている。先にも書いた通り、漱石がここを訪れたのはたいてい土曜日であった。」

まだいろいろと続くのでした。漱石はチャリング・クロス・ロードにも立ち寄っております。この街で思い浮かぶ本といえば、「チャリング・クロス街84番地 本を愛する人のための本」(へレーン・ハンフ編著、江藤淳訳講談社)だったりします。
その本の解説を、訳者の江藤淳さんは、こう書いておりました。

「・・私が、生まれてはじめて西洋の古本屋ののれんをくぐったのは・・1961年の夏の終りごろのことだった。・・私は緊張し、興奮し、そしてあちこち歩きまわりすぎたので少し疲れていた。グリーン・パークのベンチに坐ってひと息入れてから、気をとり直してまた街に出ると、そこに・・・」

余談にわたりすぎました。
ほんねこさんのブログ「書迷博客」(7月30日~8月4日)。
そこでの「北京の書店」は古本屋とは違いますが、あちこちの本屋を疲れながらもめぐっている息づかいが伝わるような書きぶりで読ませるのです。しかも、毎回写真入りでリアル。そのままに雑誌特集「北京の書店」としても通用します。本屋に興味がおありの方は是非。
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人間通・読書通。

2007-08-04 | Weblog
ちょいと気になったので、谷沢永一著「人間通」(新潮選書・新潮文庫)を、ネットで検索すると、どちらも現在は絶版・重版未定となっております。
谷沢永一著「執筆論」(東洋経済新報社)に、谷沢さんご自身がこう書いております。
「・・書き下ろしたのが『人間通』(平成七年)である。12月に初刷一万部が店頭に出るなり動きはじめ、翌平成八年八月まで増刷を重ね35万5000部に達した。」(p215)とあります。文庫になったのが平成十四年となっております。
その「人間通」には表紙に著者の文が書かれておりました。
「私は四十代あるいは五十代に至って人生に関する若干の知見を得ました。そしてそのたびごとに、このような思い至りがもう十年早く脳裡に浮んでいたら、もっと賢明に生きることが出来たであろうに、とつくづく悔むのが常でした。・・・」

本文の中にこんな箇所があります。
「今時の若者が本を読まないのは嘆かわしいとの溜め息をよく耳にする。そういう時には嫌がられるのを覚悟のうえで、それなら現代の若者が是非とも読むべき本を二十冊ここで指定して下さいと斬り返す。即座に数えあげた人はひとりもいない。睨みすえられるのが落ちである。」(p114・文庫はp122)

そして「人間通」の最後には「人間通になるための百冊」が一冊ずつに三行ほどのコメントを付して載っておりました。
ということであらためて、百冊のリストを眺めてみたわけです。
たとえば、先頃お亡くなりになった阿久悠さんの本も入っておりました。
阿久悠著「作詞入門」。
このリストについては谷沢さんのあとがきが参考になります。
「世界思想全集などの類いに並んでいる金箔つきの古典はほとんど省略し、何巻にも渡る大部な長篇は避け、読者が気楽に読めて滋養があると思える本を選びました。絶版や品切れの本がかなり混ざっているのは恐縮ですが、何時か何処かで出会われる場合もあろうと考えてのことであり、また出版界がこれを機会に復刊してくれたらという願いも籠っています」。

そう書いてある当の「人間通」が、手には入りにくくなっている今なのですが、
それでも今年は、谷沢永一著「読書通」(学研新書)が出ております。
12名のこれぞと思う人を紹介して、最後には「本文中に掲載・引用した主な文献」という一覧がありました。よく見ると「人間通」の百冊リストにも登場していた文献があります。

たとえば一冊紹介してみると、
瀧川政次郎著「東京裁判を裁く」(昭和27~28年・東和社)。
ちなみに、この本は、慧文社(けいぶんしゃ)より平成18年11月に再々刊(3,000円+税)されております。残念ながら、私は読んでいないのですが。
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始半分。

2007-08-03 | Weblog
柳田國男の「ことわざの話」に、
「為事の楽しみと苦しみ、その計画の上手下手、または成功と失敗等については、殊に何度でも人を笑わせるやうな、うまい文句がたくさんにあるのです」
として列挙されている諺に、こんなのがありました。

   始め半分。(始めるといふことが為事の半分にあたる。)
   朝油断の夕かがみ。(朝のうち勉強せぬと夕方にへこたれる。)

うん。これなど夏休みの計画にあたって、役立ちそうな文句ではありませんか(笑)。
もう8月にはいりました。すぐに夏も半分過ぎてしまいそうです。
というとこで「始め半分」をここに取り上げてみます。

渡部昇一著「学ぶためのヒント」(祥伝社黄金文庫・650)。
その第五章は「英語のことわざに学ぶ」とありまして。
短い英語の諺を題名にして、それについてのエッセイをつけております。
そこに[ Well begun is half done.]「始めがうまく行けば半分できたも同然」という文句を題にして、渡部氏の文章が続く箇所があるのでした。
そこから引用してみます。

「・・始めがいいと、そのことはもう半分やったようなものだということなんですが、これはよく我々も経験することだと思うのです。たとえば、夏休みの初めに勉強の計画を立てる。ひと月以上もあるのだからというので最初の一週間、ぶらぶらっとしてしまうと、それからが大変なのですね。何もこれということをやる前に休みが終わってしまった、というようなことになります。ところが、始めから計画を立てて、朝四時に起きるとか何かきちっとやって始めてしまうと、後でいろんな事故が起こったりして、それがその通りできないことがあっても計画の半分ぐらいはできる、あるいは三分の二ぐらいはできるということになると思うのです。また、学期の始まり、勉強の始まりの時も同じで、新しい決心なしに何となく始まったのと、今学期は、あるいは今学年は思う存分やろうと思って計画的に決意を持って臨んだのとは、随分違うと思うんです。そして、そういう始めの時の決心というものは、あるいは計画というものは、決してその通りいかないものだということも知っておいてよいでしょう。始まる前の決心は、やっているうちにこれは厳しすぎるとわかったら少し下げることも常識的に必要かもしれません。しかし、何となくぶらぶらっと始まったのとしっかり始まったのとでは、全然結果が違うのです。」

この後に江戸時代の人・柴野栗山(しばのりつざん)の言葉をとりあげておりました。そして「始めがうまく行けば半分できたも同然」という文は、文庫で4ページほどでした。

ついでですから、有朋堂の藤井乙男編「諺語大辞典」(昭和29年復刊第三版)を開いてみました。それも引用しておきます。

【始半分】 事を始むれば、既に功の半分なりとの意。相馬地方の諺。
      始ガ大事の條参照。

【始ガ大事】何事も最初を謹むべし。・・


この辞典には英語からの引用もついておりました。
  
  The beginning is half of whole.―― Hesiod.

  Well begun is half done.


この【始半分】というのは、何なのだろうと、私は愚考するわけです。
人生の始め半分の時期にいる人たちに、この諺が果たして通じるのだろうかと。
ということで、人生の後半に思い至るわけなのでして、
「人生後半に読むべき本」(PHP研究所)で渡部昇一氏が谷沢永一氏にこう語りかけている言葉が、直接関係ないかもしれないですが、ふと思い浮かんだりするのでした。

「 谷沢先生はフランスのモラリストのものがお好きでしたね。
  モラリスト的なものに興味があるから文科系に来る
  というのが文科系の人間として正当ではないですか。 」(p69)

それでは、モラリストと諺とを、つきあわせると
私には松井高志著「人生に効く!話芸のきまり文句」(平凡社新書)が思い浮かんだりします。その松井さんの新書の帯には「読めば、みるみる『人間通』!」とあります。う~ん、そういえば「人間通」という題名の本がありました。




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諺の代り。

2007-08-01 | Weblog
柳田國男の「ことわざの話」に、こんな箇所があります。
それは、「諺」と「題名をつける」との共通点を指摘しているのでした。
その前後を引用してみます。

「・・・なるだけ丁寧に相手が満足するまで、説明した方がよいということになるかも知れませんが、そんなことばかりもしてをられない場合が、実際はまだ多いのであります。他にも為事があって急いでいる時、お互いに気持ちがわかっていて詳しい話をするに及ばぬ時、または感情がもつれて気を転ずる必要のある時、それからぜひとも覚えていて、つぎの人へもいってもらひたいことがある時などは、今でもわざわざ標語といって、強い短い文句を用意して置いて、それを使おうとするのであります。
演説や講演に演題というものがあり、詩でも小説でも皆似つかわしい題をつけているのも、多くは以前使っていた諺の代りであります。
それだのに諺は、いつも学問のある人に軽蔑されていました。諺を使って話をするのを下品なようにいう人がありました。・・・」


そういえば、週刊誌の記事に題名をつける齋藤十一氏(このブログで紹介しました。2007年6月8日)。それに、山本夏彦氏の題名のつけかたなどを思い浮かべるわけです。

ここでは河合隼雄についてとりあげます。

読売新聞2006年11月10日「よみうり寸評」。
はじまりは
「河合隼雄さんの著【こころの処方箋】を読むといつもほっとする。何度読み返しても、改めてふむふむとうなずける。ありがたい。その秘密は何だろう。最初の章の題が何と【人の心などがわかるはずがない】。・・・」

コラムの真ん中を飛ばして、そそくさと後半を引用します。

「各章の題をやはり呪文のように唱えるだけでも、心がおさまる。納得したり、楽になったりする。
  『ふたつよいことさてないものよ』
  『心のなかの自然破壊を防ごう』
  『100%正しい忠告はまず役に立たない』
  『耐えるだけが精神力ではない』
  『心の中の勝負は51対49のことが多い』
  『マジメも休み休み言え』
一見、非常識な題でも読めば常識豊かな内容。・・・」

現在読売新聞夕刊をとっていないので、一面コラム「よみうり寸評」を読んでいません。残念なのですが、それはそれとして、気になるコラム子が「読むといつもほっとする」というのです。河合隼雄氏の題名のつけ方を、あらてめて注目したくなるではありませんか。
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