和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

淋しがって居る女の子に。

2013-04-13 | 本棚並べ
柳田国男著「村と学童」の「あとがき」には
昭和23年12月と日付があります。
そのはじまりを引用。

「ちやうど今から四年前、空の猛火はだんだんに迫って来て、自分たちの生死も全く不定であつたころ、村に避難して居る小学生諸君、さういふ中でも殊に始めて親の手を離れて、淋しがつて居る女の子に読ませたいと思つて、私はこういふ文章を十ばかり書いて見た。其中の六つを一冊の本にまとめて、『村と学童』といふ名で出版して居る。可なり急いだけれども印刷が間に合はず、あの八月十五日も過ぎてから、やつと世の中へ出ることになつた。・・・・
しかしこの本の中に書いてあることは、戦がすんでしまへばもう用は無いと、いふやうな種類のものでは無かつた。・・・現在は・・疎開の日のことなどは忘れかけて居るであろうが、皆さんが大きくなり、上の学校に進み、社会の数々の問題に触れて行くたびに、きつとあの当時の印象があざやかに活きかへり、どういふわけでといふ不審を、今に起こさずには居られなくなるであろう。・・・・」

私は、この箇所を読み返していると、
直接には、この本の内容と関係がないのですが、
皇后美智子さまの「橋をかける 子供時代の読書の思い出」(すえもりブックス・のちに文庫も出版)一節を思い浮かべるのでした。
ということで、その箇所を引用。

「私の子供の時代は、戦争による疎開生活をはさみながらも、年長者の手に護られた、比較的平穏なものであったと思います。そのような中でも、度重なる生活環境の変化は、子供には負担であり、私は時に周囲との関係に不安を覚えたり、なかなか折り合いのつかない自分自身との関係に、疲れてしまったりしていたことを覚えています。そのような時、何冊かの本が身近にあったことが、どんなに自分を楽しませ、励まし、個々の問題を解かないまでも、自分を歩き続けさせてくれたか。・・・」

うん。この「橋をかける」では、柳田国男の「村と学童」は出てこないのですが、大人になってから、読まれたのではないかと、あれこれと想像してみるのでした。

それにしても、あとがきにあるところの
「村に避難して居る小学生諸君、さういふ中でも殊に始めて親の手を離れて、淋しがつて居る女の子に読ませたいと思つて」という箇所は印象に鮮やかなのでした。
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俳句の季語ですよ。

2013-04-12 | 本棚並べ
「ふるほん 上海ラヂオ」(京都市北区)は、
一冊送料80円としており、いまどき泣ける古本屋さんなのでした。

最近ここから購入したのが
丸谷才一対談集「言葉あるいは日本語」(構想社)
 300円+送料80円=380円なり

その対談集の最後に登場していたのが田村隆一。
その箇所をパラパラめくれば、
丸谷才一著「無地のネクタイ」(岩波書店)にある、

「日本海軍の軍艦名は趣味がよかった。」とはじまる
短文「名前をつける」を思い浮かべるのでした。

対談では、お二人が海軍について語るさわりから少々。


田村】 ・・ぼくは戦争末期海軍にいたけど、軍艦には山や川からとった名前が多いね。・・・それから時雨なんていう船があるんだね。それから春風ね、霞、みんな俳句の季語ですよ。
丸谷】 日本の海軍の名前はきれいだったよ。
田村】 戦争末期に非常に優秀な駆逐艦造ったわけよ。その時は木偏つけた。楓、椿、柊ね。
丸谷】 田村さんは海軍びいきだものね。
田村】 やはり、ある文化が残っているのよ。ぼくはいじめられたけどね。・・・


うん。これ以上引用すると、丸谷さんの短文「名前をつける」とダブっちゃうので、やめといて、もう一か所引用。


田村】 それから、私の狭い経験では、明治政府からの近代化が、一応、軌道に乗っていくのは、憲法発布、明治二十年ぐらいでしょう。だけど実際に、前時代と別れるというのは自然現象ですけどね、やはり大正十二年なんだ
丸谷】 震災でしょう?
田村】 まあ、それは確かに自然現象に過ぎないけど、しかも関東の一部が、ガラガラとやられただけの話なんだけども、あれで、江戸期の文化は全部、なくなる。不思議なもんだねェ。
丸谷】 だって、首都ってものは、そういう性格を持ってますよね。一文明の代表で、象徴だから、それは当然のことですよ。
田村】 言葉づかいから、美意識から全部、変っちゃう。
   ・・・・・・
田村】 しかもやっと国家になったような日本に対してだって、1920年代初頭のインターナショナルな不況の波というのは、全部、被ってくるんですからね。ぼくは、そういう意味では世界経済の変り目に、大正十二年は、ちょうどきていたと思う。うまく出来てんだねェ。ぼくは、大正十二年に生れたからね。余計、詳しいんだよ。(笑)

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村と学童。

2013-04-11 | 本棚並べ
「新編柳田國男集」第八巻(筑摩書房)の解説は長谷川四郎。
そこに、
「さて新編柳田國男集の第八巻である本書に解説を書けと言われ、それを大いに光栄に感じて勇んでのこのこと出て来たのはいいが打者のポジションにつくまでに歩きながら、どう書こうかなといろいろ思案した末、仮にどうだろう、『俳諧復興の悲願』ということを中心に考えてやってみたら?」

と途中に書かれており、以下が解説の本題になるのでしょうが。
私が興味をもったのは、そのすぐ手前の箇所なのでした。
その手前では、「村と学童」について書かれております。

「・・しからば柳田國男の『村と学童』はどうだろう。なんだかとても不幸な本だったような気がする。『物心がつく』年頃の児童のために書かれたこの本の序文には、『昭和二十年七月』という日付が記入されているが、この昭和二十年は1945年で、この都市の8月6日は広島に原子爆弾が投下された日である。柳田國男のこの本は、おそらくは一冊も学童たちの手にとどくことなく終っただろう。そればかりではない。大東亜共栄圏などという『共同幻想』にも柳田國男はこの本のどこかで触れていた。思いやりの深い著者はこの本の受け取り手たちが疎開させられた学童であり、その教師たちであろうことを考慮に入れてだろう、それを書き入れておいたのだと私は想像する。自分の私的感懐であるが私は、不幸だった柳田國男と思わずには、これを書かないではいられない。」

ところで、新編柳田國男集第八巻には『村と学童』は入っておりません。
新編柳田國男集第十巻に「村と学童」の一部が抜粋されて入っております。
ちなみに、第十巻の解説は鶴見俊輔。

ということで、「定本柳田國男集」第二十一巻をひらくことになるのでした。
定本の第二十一巻は

 こども風土記
 なぞとことわざ
 火の昔
 村と学童
 村のすがた

が載っている巻でした。
その「はしがき」は昭和二十年七月と日付がはいっております。
うん。その「はしがき」を、まずは読めてよかった。
と、思っております。
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しぶとい生命力。

2013-04-10 | 本棚並べ
古本を名前でネット検索すると、
文庫の解説でしかなくとも、対談集の対談相手数人中の一人でしかなくとも、名前で検索すると、その本が表示されるので、何ともありがたいなあ。

ということで、
織田正吉氏の興味から3冊注文。
それが3冊とも、とどきました。

田辺聖子著「大阪弁ちゃらんぽらん」(中公文庫)
その解説を織田正吉氏が書いております。

この古本屋は
いちょう企画 障害者福祉施設 いちょう工房 そら
(八王子市元本郷町)

 文庫定価190円+送料280円=470円

その織田氏の解説文より、すこし引用。

「明治30年代、当時の政府は日本語統一のため『国語』すなわち標準語の普及を国定教科書の制定というかたちで具体化し、方言矯正、方言撲滅に乗りだす。いまでこそ『標準語』といわず『共通語』と称して姿勢はしおらしいが、方言を使うのはよくないこと、軽蔑すべきことであるという当時の思想はいまだに尾を引いて、かならずしも払拭されていない。いやしむべき一方言に落魄していた大阪弁が、しぶとい生命力をもって全国を席捲し、しばしば標準語をおびやかすのは、『夫婦善哉』『王将』に限らず、主として大衆芸能や娯楽の面からであった。その功労者として、われわれは漫才の横山エンタツ・花菱アチャコの名を記憶している。」(p206)

宮本輝対談集「道行く人たちと」(文藝春秋)
こちらは、古本センター飯塚店(福岡県飯塚市)
 古本400円+送料240円=640円

対談の相手はというと、
田辺聖子・織田正吉・村田幸子・西阪廣・水上勉・中上健次・山直子・吉田善哉・桂三枝・森南海子。

織田正吉著「絢爛たる暗号 百人一首の謎をとく」(集英社)
こちらは、永楽屋(えいらくや)(尾張旭市吉岡町)
 古本700円+送料290円=990円

以上古本3冊購入しました。
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入れ歯の沈む。

2013-04-09 | 詩歌
読売新聞4月8日の読売歌壇。

今年は歯を抜いたので、
ちょっと他人事じゃない短歌が気になりました。

民宿の夜半に立ちたる洗面所コップに友の入れ歯の沈む
     仙台 小野寺健二 (小池光選)

自分の入れ歯じゃなくて、
友というのがいいなあ。と思って読みました。

おなじく小池光選に、

何もせず日の暮れし日はなんとなく罪を犯せしやうな気がしぬ
   香取市 関 沼男


ところで、栗木京子選の最初は、

残業で午前一時の駅に立ち七時間後にまたここに立つ
    立川市 松枝牧子

栗木さんの【選評】は、「 自宅の最寄り駅に午前一時に帰り着いて、また朝八時には出勤のため同じ駅に。睡眠時間を心配してしまう。駅を定点にして激務の日々を表したことで、深い実感が出た。」とありました。
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面倒くさいこと。

2013-04-08 | 短文紹介
鹿島茂著「『悪知恵』のすすめ」(清流出版)
副題は「ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓」とあります。
パラパラとめくると、なんとも、
これが面白そうなのです。
うん。スラスラと読め楽しめます。

ひとつだけ引用。

「最も恐るべき敵は、ときに最も矮小な敵である」
と題して「ライオンに勝利したブヨ」の寓話を紹介したあとに

「では、この寓話から、われわれはどんな教訓を引き出したらいいのか?ラ・フォンテーヌ先生は言う。教訓は二つある。

 一つは、最も恐るべき敵は、ときとして最も矮小(わいしょう)な敵である、ということ。もう一つは、大きな危険を免れることができた者がつまらぬことで身を滅ぼすことがある、ということ。 」

こうして、鹿島茂氏は、最後をどうしめくくっているかというと

「この教訓は大切だ。
たとえば、日本とアメリカである。
日本を完膚なきまでに叩きのめしたと思いこんだアメリカは、日本をブヨ扱いにして、哀れみから物欲資本主義の方法を貸し与えた・・・1990年のバブル崩壊まで、日本の改良型物欲資本主義というブヨは確実にアメリカというライオンを衰弱させ、敗戦による屈辱をある程度は雪(すす)いだのだ。
だが、その改良型資本主義も少子高齢化という『つまらぬこと』で身を滅ぼすことになる。内需拡大のスローガンのもと、『面倒くさいことは嫌いだ』という日本人の安易な精神をくすぐり、面倒くさいことはしなくていいよ、その代行をしてやるからと囁き続けたため、日本人は見事に面倒回避主義のドツボにはまりこんだのだ。
すなわち、日本人は、結婚、出産、子育てという最も面倒くさいことをいちばんに嫌い、独身で自分の好きなモノを買い続ける生活を選んだ結果、少子高齢化というクモの糸を招き寄せてしまったのである。
ブヨはライオンに勝ったが、調子に乗りすぎたため自滅した。成功が失敗の原因。よくあることである。」(p72~73)
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想像ラジオ。

2013-04-07 | 短文紹介
いとうせいこう著「想像ラジオ」(河出書房新社)の
新聞書評が今日は2つ。

毎日新聞が中島岳志氏によるもの。
産経新聞が清水良典氏によるもの。

ふだんは、小説に目がいかないのですが、
こうして2つあると、ついつい書評を読みます。

ここでは、中島岳志の書評の最後を引用。

「フィクションは、リアルを越えたリアルに迫る。荒唐無稽なシチュエーションこそが、現実以上の現実をあぶりだす。これが文学の力だ。ポスト3・11の文学に、ようやく出会えた。間違いなく傑作だ。」


うん。こういう明快な書評っていいですね。
さて、中島岳志の書評が間違いないかどうか。
その、確認の意味もふくめて注文することに(笑)。
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古本全12巻。

2013-04-05 | 本棚並べ
昨日、筑摩書房「新編柳田國男集」全12巻を注文。
それが、今日とどく。

古本屋さんは
きさらぎ文庫(練馬区石神井町)
新編柳田國男集全12巻
 4,000円+送料850円=4,850円

直接、柳田国男を読めばよいのでしょうが、
私には歯が立たない(笑)。
それで新編12巻を買うことにしました。
さあ、今年はこれを読む。
まずは、各巻の解説者は、どなたなのかと気になりました。

第1巻  岡谷公二
第2巻  高藤武馬
第3巻  益田勝実
第4巻  見田宗介
第5巻  宮田 登
第6巻  永川玲二
第7巻  佐竹昭広
第8巻  長谷川四郎
第9巻  高取正男
第10巻  鶴見俊輔
第11巻  杉浦明平
第12巻  佐々木高明


うん。私は
解説がないと読めないタイプ。
本に直接アタックすればよいのでしょうが、
解説という水先案内人とお話しながらだと、
読むのも苦にならない不思議。

むろん、居ながらにして手にする古本と、
そして、その安さが基本(笑)。
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立川断層事実誤認。

2013-04-05 | 短文紹介
産経新聞4月3日オピニオン欄。
曽野綾子連載の「透明な歳月の光」のはじまりは、

「東京大地震研究所の佐藤比呂志教授らによる立川断層の調査は、古い構造物の一部を、断層と事実誤認したことがわかったという。」

曽野氏は、ここから、面白い発見へと話題がかわるのでした。まあ、
実際の地震が起こっている最中に、とりみだして、事実誤認をするのならわからないでもない。調査での誤認ということで、とかく忘れやすい私も、東京大学地震研究所・佐藤比呂志教授の名前は、覚えておきます。

さてっと、その連載の隣、「正論」欄には平川祐(ネは示と書く)弘氏の「日本人に生まれて、まあよかった」という文。うん、読み返します。
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よっぱらい。

2013-04-04 | 短文紹介
朝、テレビを見てたら、
大学の国語試験の平均点を下げた難解文の小林秀雄の話題から、つながって、晩年の小林秀雄の対談テープが見つかったというニュース。
そして今日発売の「考える人」春号にそのCDが附録としてついているのだそうな。うん。新聞にも記事が載ってる。ちょいと用事があったついでに、さっそく町の本屋さんに寄って、季刊誌「考える人」を買ってくる。その対談も活字で掲載されております。河上徹太郎氏との「歴史について」という対談。さいごのほうで、河上さんが「僕、現代音楽がというのが、好きになってしまった」と漏らしているのでした。対談の推敲をする前のテープと、推敲後の活字と、気になるなあ。
まあ、それはあとで読むとして、小林秀雄氏の長女・白洲明子さんの「よっぱらい」という文が目にとまります。そのはじまりを引用。

「どこかで新発見の父のテープがみつかると、私のもとに持ちこまれます。・・・・今回の河上さんとの対談のテープは、今まで聞いた講演会や講座のそれとは異なり、内容よりまず父の声から、お酒の回り具合が手に取るように感じとれ、酔っぱらった姿が目に浮び、懐かしさで胸がいっぱいになりました。幼い頃から私にとって父は酔っぱらいの父なのです。・・・」

うん。とりあえず、CDを持っていれば、ふらりと聴きたくなる機会があるでしょう。こういうのは何げなく聴くのが一番(笑)。
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こころの駒に。

2013-04-03 | 詩歌
昭憲皇太后御集になかに御唱歌があるのでした。
そこには、唱歌がふたつ。
「金剛石」と「水は器」。

ここには、「水は器」を引用してみます。

 水はうつはに  したがひて
 そのさまざまに なりぬなり
 人はまじはる  友により
 よきにあしきに うつるなり
 おのれにまさる よき友を
 えらびもとめて もろともに
 こころの駒に  むちうちて
 まなびの道に  すすめかし


今回ひらくと、
「こころの駒にむちうちて」という箇所が
浮き出してくるようなのでした。
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大橋鎭子さん。

2013-04-02 | 本棚並べ
今日の産経新聞社会面の下に
大橋鎭子(しずこ)さんの死亡記事。
暮しの手帖社社主とあります。
3月23日肺炎のため死去。93歳。

大橋鎭子著「『暮しの手帖』とわたし」(暮しの手帖社・平成22年発行)
KAWADE夢ムック「花森安治」(文藝別冊)
「暮しの手帖」(1964年冬号 77)
そこに掲載されている、丸山丈作による「東京府立第六高等女学校」。
暮しの手帖社編「戦争中の暮しの記録」

あらためて、4冊を本棚から取り出してくる。
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お言葉。

2013-04-01 | 地震
天皇陛下のお言葉。

3・11後のテレビで語りかけられていたお言葉。
東日本大震災一周年でのお言葉。
そして、二周年でのお言葉。

この3つを読み直したいなあ。
天皇陛下と皇后さまが
詠まれる和歌もよいのですが、
ここでは、お言葉。
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