『サザエさん』と、山田洋次監督『寅さん』。
その両方の裾野に、柳田国男を置いてみたい。
はい。そんな組み合わせを思い浮かべました。
ここは、山田洋次監督の「忘れられない本」
から引用をはじめます。そのはじまりは
「大学に入った翌年だから、昭和26年である。
渋谷の道玄坂にある古本屋で『柳田国男先生著作集』を
10冊ほど買った。ほど、というのは全巻揃いでなく
バラバラの歯抜けだったからで、店先に乱暴にひっくくって
積んであった。終戦直後に出版されたもので、仙花(せんか)紙
・・・ひどい紙質の本だった。」
途中を端折って、昭和44年となります。
「昭和44年、ぼつぼつ監督として一本立ちになっていた私は、
ある日、本屋の棚に、筑摩書房刊、現代日本文学大系のなかの
『柳田国男集』を見つけ・・買い求めた。
学生時代に買ったきり読みもしなかった柳田国男先生著作集に
対する申しわけのような気持ちだった。今度は紙質も上等だったし、
一冊にまとめたものだから・・・またこれくらいの分量なら
なんとか読めるかもしれない、とまあそんなふうにも考えた。」
はい。これが前置きでした。いよいよこのあと
柳田国男を読み始める、その出会いの場面となります。
「その夜、アパートの机の上でこの本の扉をめくり、
最初のページの一行目を読んだ時の、ハッとして眼が覚める
ような新鮮な印象を、私はいまだに忘れることができない。
人を楽しませるものが芸術だといふことを、
思ひ出さずには居られない時世になりました。
・・・・・・
・・・・・・
――作り手が自ら楽しむ姿を見ることこそ喜びであって、
世間に見せようの、素人に誇ろうのという
今風の作者意識のないものはなつかしく、
仲間同志が援助しあってすこしでも
すぐれた芸術へ近よっていこうとする姿こそ貴く、
よその流派を悪くいい、自分たちの作ったものだけを
満足なものとするような芸術をどうして楽しむことができようか
――――という意味の文章だった。
柳田国男が俳句について語る言葉は、実は自分が身をおく
映画を含めたすべての芸術についてあてはまる真実なのではないか、
とまるで眼から鱗(うろこ)がおちるような思いで深夜までページを
めくり続けた日のことを、私は今でもまざまざと憶えている。」
はい。この短文の最後も、この際引用しておきます。
「27年前に出逢った10冊の著作集の方は、捨てるに捨てられず、
今でも押し入れの奥で埃をかぶっている。」
( p146~147「忘れられない本」朝日新聞社・昭和54年 )
はい。著作集といえば、買うだけなら私にでもできます。
『新編 柳田國男集』(筑摩書房・全12巻・1979年)
という単行本サイズの軽装版を、私も買いました。
私のことですから当然ですが未読。いつかは、思うばかり、
念仏を唱えるように『いつかは読もう。いつかは読もう』。
そしてそのままでした。本棚にあって、神棚にあるような、
そんな感じで、手を合わせているだけになっておりました。
それでも、本文を読まなくても、簡単に読める
『新編 柳田国男集』の巻末の解説は拾い読み。
第8巻の巻末解説長谷川四郎が印象に残ってます。
長谷川四郎は、次のようにテーマを絞るのでした。
「柳田国男の書いたもの、そこではいかに離れた局面に
見えようとも有機的につながっている。・・・・・・
それらをつなぐ一本の赤い糸として俳諧精神とでも
仮に名づけたいものを私は見ようと試みたのだ。・・・」(p319)
うん。山田洋次監督ともつながりそうな箇所もあります。
「柳田国男は俳諧の方法として山本嘉次郎や寺田寅彦と共に
映画のモンタージュ論に引かれた時期があったそうである。」(p317)
そしてさらに、「サザエさん」へつなげたい箇所もありました。
「『女性と俳諧』の一文を書いておられる。
『女がその群に加はるといふことは、
単に彼女等の権利であるだけで無く、
人生の笑ひを清くする為にも
屡々(しばしば)必要でありました。』」(p318)
う~ん。映画の寅さんと、四コマのサザエさん。
中間に、柳田国男著『女性と俳諧』を置きたい。
ちなみに、『現代日本文学大系20 柳田国男集』の
目次には、はじまりが『病める俳人への手紙』で、
その次に、『女性と俳諧』があり、読む方としてはありがたい
( 蛇足ですが、この本、文字が小さいのでご注意ください )。