毎月1日は、映画の日。1000円で見ることができます。60歳以上になるといつでも1000円でしたっけ。そこで、「TAKESHIS」に続いて見てきました。「ALWAYS(3丁目の夕日)」。
昭和30年代の頃、ちょうど東京タワーが出来る頃の設定。根強い読者のいる「3丁目の夕日」が原作のようです。小生、なんとなく絵柄は思い出せるのですが、これといった印象がありませんでした、原作のマンガには。
映画化されてみて、ほのぼのとした情感溢れる作品に仕上げっています。東京タワーの見える街並は、具体的にはどのあたりを想定しているのかわかりませんが、品川行きの都電が通る大きな通りからちょっと入った街。たしかに実在しそうで実在しない街のようすです。
テレビでの力道山。東北からの集団就職。駄菓子屋。ちょっといわくあるげなな居酒屋。たばこ屋のおばさん。自動車修理工場。戦争で家族を失った人。そうした中で、テレビ・冷蔵庫・洗濯機の3種の神器を購入できたのが、自動車修理の町工場であったりします。自動車・ミゼット、スクーター・・・。蒸気機関車。通行人の服装・・・。
よくも復元できたものだと感心しました。広い通りをその当時の車が走っています。上野駅も昔のまま。銀座の通りも。自動車マニア・蒸気機関車マニアなら垂涎の時代考証。たしかにCGを駆使して違和感なく描いていました。
登場人物たちも皆、予定調和に近い、人情の持ち主。唯一の悪役は、少年の実の父親のみ。それぞれが持ち場持ち場で、支え合いながら生活している。
今はもう忘れ去れた、そんな街のぬくもり。皆が貧しいからこそ、共に互いを大事にしている、そうしたメッセージが観客に伝わってきます。そしてラストは、夕日に染まった町並みと人々の顔。まさに郷愁の世界でした。
しかし、一方で、一番の稼ぎ頭が自動車修理工場の男ですし、東京タワーがそうした人々の暮らしを、足元に押しつぶすように着々と完成に近づいきます。
そこに、高度経済成長の波に乗ろうとしている、がむしゃらな当時の日本の姿が描き出されています。
「過去の歴史は、現在に規定される」とは歴史的見方の当然のスタンスですが、この映画には、まさにそうやってがむしゃらに右肩上がりの行動成長をしてくる中で、すっかり失ってきたものの元凶を告発するかのような、歴史観がみられるのです。その象徴が、最後の東京タワーと夕日の組合せの皮肉さではないでしょうか。 夕日を眺める人の心が、一日のどす黒い生きるための人間生活を、一瞬でも洗い清めてくれる、それは一時の、実は幻想にすぎないことを見事に描き出しているように思いました。
もし、観客が時に涙を拭きながら、この作品に郷愁を覚え、忘れてきた人情に感動するとしたら、それは、己もまた、自己弁護にたけた現在の日本人の一員であることの再確認でしかないように思えるのです。
しかし、この映画を観ている、その時間だけでも、他人への思いやりや通い合いを失った、今の日本の社会の心の貧しさを互いに認めあうことも、もしかしたら、そこから何かが生まれて来るかも知れません。美しい夕日は、必ず翌朝の晴れた空につながるハズですから。
このつぎは、「SAYURI」をみにいく予定です。
昭和30年代の頃、ちょうど東京タワーが出来る頃の設定。根強い読者のいる「3丁目の夕日」が原作のようです。小生、なんとなく絵柄は思い出せるのですが、これといった印象がありませんでした、原作のマンガには。
映画化されてみて、ほのぼのとした情感溢れる作品に仕上げっています。東京タワーの見える街並は、具体的にはどのあたりを想定しているのかわかりませんが、品川行きの都電が通る大きな通りからちょっと入った街。たしかに実在しそうで実在しない街のようすです。
テレビでの力道山。東北からの集団就職。駄菓子屋。ちょっといわくあるげなな居酒屋。たばこ屋のおばさん。自動車修理工場。戦争で家族を失った人。そうした中で、テレビ・冷蔵庫・洗濯機の3種の神器を購入できたのが、自動車修理の町工場であったりします。自動車・ミゼット、スクーター・・・。蒸気機関車。通行人の服装・・・。
よくも復元できたものだと感心しました。広い通りをその当時の車が走っています。上野駅も昔のまま。銀座の通りも。自動車マニア・蒸気機関車マニアなら垂涎の時代考証。たしかにCGを駆使して違和感なく描いていました。
登場人物たちも皆、予定調和に近い、人情の持ち主。唯一の悪役は、少年の実の父親のみ。それぞれが持ち場持ち場で、支え合いながら生活している。
今はもう忘れ去れた、そんな街のぬくもり。皆が貧しいからこそ、共に互いを大事にしている、そうしたメッセージが観客に伝わってきます。そしてラストは、夕日に染まった町並みと人々の顔。まさに郷愁の世界でした。
しかし、一方で、一番の稼ぎ頭が自動車修理工場の男ですし、東京タワーがそうした人々の暮らしを、足元に押しつぶすように着々と完成に近づいきます。
そこに、高度経済成長の波に乗ろうとしている、がむしゃらな当時の日本の姿が描き出されています。
「過去の歴史は、現在に規定される」とは歴史的見方の当然のスタンスですが、この映画には、まさにそうやってがむしゃらに右肩上がりの行動成長をしてくる中で、すっかり失ってきたものの元凶を告発するかのような、歴史観がみられるのです。その象徴が、最後の東京タワーと夕日の組合せの皮肉さではないでしょうか。 夕日を眺める人の心が、一日のどす黒い生きるための人間生活を、一瞬でも洗い清めてくれる、それは一時の、実は幻想にすぎないことを見事に描き出しているように思いました。
もし、観客が時に涙を拭きながら、この作品に郷愁を覚え、忘れてきた人情に感動するとしたら、それは、己もまた、自己弁護にたけた現在の日本人の一員であることの再確認でしかないように思えるのです。
しかし、この映画を観ている、その時間だけでも、他人への思いやりや通い合いを失った、今の日本の社会の心の貧しさを互いに認めあうことも、もしかしたら、そこから何かが生まれて来るかも知れません。美しい夕日は、必ず翌朝の晴れた空につながるハズですから。
このつぎは、「SAYURI」をみにいく予定です。