おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

防衛省と平和省

2005-12-13 22:40:18 | 平和
 公明党は防衛庁を省に昇格?させるときに、「平和」という名称を付したい考えらしい。
 最近、巨大与党体制のなかで、すっかり影の薄くなってきた存在。教育基本法改正?でも、賛意を示して「愛国心」も「国を愛する心」も変わりない、といってのけ、今度は、防衛省に「平和」を付す。すでに「国民投票法」にも賛成。その代わり、児童手当問題ではうまく自分たちの主張を認めさせた。
 彼らの意図は、言うまでもなく再来年の参議院選挙。このときに、1000万票を取るために、もう、学会組織を選挙態勢に切り換えているとも言われる。その選挙に自分たちが不利になることは、この際、一気に解決しておく。そうして、選挙宣伝の目玉をしっかりと獲得する。この至上命令のために、今や必死になっているのだ。
 「平和」と聞いてすぐに思い浮かべるのは、例のイケダだ。かのイケダ、ノーベル平和賞を貰いたくて貰いたくてしょうがないのは、今や世間でも周知のこと。いたるところで、「平和」をうたい文句にして、イケダセンセイを絶賛する学会系出版物。何を考えているのか、それに盲目的に協賛している一部のマスコミ。
 名誉勲章の数を誇り、名誉学位を誇り、日本人だけが、そうした大先生の真価を知ろうとしない不届き者だという感じ。そして、それは、嫉妬に狂って、正しく見られないかわいそうな(罰当たりな)連中だ。そのくらいにしか思っていない、学会員。
 今の公明党、特に選挙運動に対して批判的な不満分子ですら、イケダのことになると、そのインチキ制を批判的にとらえられない、悲しい弱点をさらけ出す。まさにカルト教団の恐ろしさだ。まだ他の人よりもましだ、くらいの感覚なのだろう。
 そのキーワードが「平和」。つまり、今回の公明党幹部の発言は、イケダ先生のノーベル賞狙いの布石としての、深謀遠慮のなせる発言。それに、一般市民・特に平和問題にかかわる人ですら、「平和省っていいのではないか」とコロッと参っている。
 「平和」の名の下で、「国際平和のために」「国際平和を守るために」それを阻む邪悪との戦争を、日本軍がアメリカ軍と共に担うこと。それが自民党の目論見。だとすれば、「平和」という称号を「防衛省」に付すこともやぶさかではないだろう。
 こうして、イケダ率いる創価学会・公明党の意のままに、またしても政界は動き始める。これでいいのか!と思う。ただ政治のロジックとはいえないのだ。
コメント
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