おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

公明党、児童手当

2005-12-05 21:01:56 | 平和
とひきかえに、「防衛省」を容認、さらに、「国民投票法」も認めることに。
 防衛省には、「平和」とか「国際貢献」とかの意味合いも入れて貰いたいと申し入れたとか、相変わらずの逃げ道用意。なんということはない、つまりは、学会向け(それも一部の婦人部や青年部員に向けての)のコメントに過ぎないのだ。
 それにしても、児童手当増額を取引材料にするとは、彼らには政治理念も何もないことがますますはっきりした。ただただ、1票ほしさのためなのだ。すなわち、2年後の参議院で1000万票獲得を目標。これに向かってすでに組織は動き出しているらしい。
 もっともっと公明党が「平和」とか「福祉」を売り物にしながら、国民の目を欺いていることに注意する必要があろう。ファシズム(全体主義)への道はこうして創価学会の狙いに即応しているとも思えるのだ。
 もともと、創価学会が戦争に反対し、平和を守るなどというスローガンはまやかしにすぎない。彼らの歴史をみても、けっして戦争に反対したわけでもないし、投獄されたのも反戦のためではなかったのは、歴史的事実である。
 また、戦後、学会が飛躍的に会員を増やしていったとき、彼らは戦争を鼓舞する歌を、一部言い換えて皆、大声で歌って会員を動かしたのだ。その組織も、まるで軍隊まがいの組織名であった。戦争を批判するかっこうをしながら、戦争の「うま味」の部分を利用したともいえよう。
 さらに、組織を批判する者への容赦ない攻撃、自分たちへの批判はほんの少しも許さない独善的な姿勢は、表面的なソフト路線とは裏腹のものである。だから、自分たちの組織に有利になると判断すれば、平気で妥協し、これまでの主張をごまかし、ひとたび不利になると判断すれば、またごまかし逃げをうち、また弱い敵とみれば陰に陽に恫喝していく。
 コイズミさんも、そのあたりをうまくコントロールしているつもりだろうが、今や学会票なくして当選がおぼつかない、自民党議員のいることを考えると、コイズミ政治の脆弱さがわかる。今回の「コイズミ劇場」選挙で巨大政党となった自民党のアキレス腱は、実に公明党・学会頼みであるところだ。そうそう、民主党議員の中には学会票をあてにして向きもいるらしい。なんということはない、日本の政治は学会に握られてしまった。
コメント
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