おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

海に夕日が。漱石。「八幡浜風ちゃんぽん」。・・・。駆け足で松山・道後。その3。

2013-05-03 16:32:29 | つかのまの旅人
 革靴で石段を登ったので、けっこう疲れました。日頃の運動不足と膝の痛みも加わって・・・。地元の人が夕方の散歩で登ったり下りたりして、格好の運動コース。中には、高校生がダッシュで駆け上がり、駆け下りる。なかなかの気迫でした。
遙か向こう、雲の合間から夕日が海を照らしています。瀬戸内海・伊予灘。
くれなずむ眼下。
藤棚。ここは、サクラの名所でもあるようです。
がっしりとした石垣の上に木造の建物群。
 残念ながら開館時間を過ぎて中には入れず。外側をぐるりと。
天守の一部。入り組んだ中に落ち着いた雰囲気。
どの方向から見上げても「絵」になる。

 といっても、お城は居住だけの目的ではない。敵の侵入を防ぎ、撃退する建築物でもあります。したがって、頑丈な造り。
石垣の上に、堅牢な趣きを持つ。
攻めてくる敵軍を攻撃するための仕組みが随所に。そこから覗いたところ。
さてと下りましょうか。
下り道はスロープ。もう灯りが。
「登り石垣」。敵の侵入を防ぐため。

 帰りがけに。
「NTT」沿いにある漱石ゆかりの「松山中学校跡」の碑。「夏目漱石は明治27年、ここで英語を教えました。名作『坊っちゃん』は松山中学校を舞台にして書かれました。・・・」
漱石の一句。ユーカリの木の脇に。「わかるゝや一鳥啼て雲に入る 漱石」。
 夕飯には、例によって、「ラーメン」屋さんを探しましたが、見当たらず。しかたなくJR松山駅横の「喜多方ラーメン」のお店に。メニューにあった「八幡浜風ちゃんぽん」。一応「ご当地ラーメン」ということにしましたが・・・。そこで、本場のPRページより。

八幡浜ちゃんぽんとは?
 長崎などの麺文化を、八幡浜風に「ちゃんぽん」にして生まれた食べ物です。単なるご当地グルメを通り越して、八幡浜の「ソウルフード」として市民に愛され続けています。

八幡浜ちゃんぽんの歴史
 八幡浜市は、四国の西の玄関口と言われ、古くから九州や関西地方との海上交易が盛んで、商業都市「みなとまち八幡浜」として栄えてきました。
 八幡浜ちゃんぽんの誕生については、長崎・神戸・横浜をはじめとした全国各地のみなとまちにみられるように、本場中国の食文化が海を渡って伝わり、地元の食文化との融合の中で生まれたと言われています。現存する最も古い提供店は、昭和23年の創業です。

八幡浜ちゃんぽんの特徴
 長崎ちゃんぽんは、豚骨ベースで白濁した濃厚なスープであるのに対し、八幡浜ちゃんぽんは、鶏がら・鰹・昆布などでだしを取った黄金色のスープで、あっさり風味が特徴です。麺は太目の中華麺を使用するお店が多く、たっぷりの野菜に豚バラ肉、それに八幡浜の特産品である蒲鉾・じゃこ天など水産練り製品が具材として使われており、魚のまち八幡浜らしさを表現しています。

 現在、市内での提供店は、食堂やレストラン、カフェ、居酒屋、ホテル、お寿司屋など、50店を越えています。「ちゃんぽん」と「ライス」がセットになった通称「ちゃん定」(ちゃんぽん定食の略)をはじめ、エビやイカなど魚介類をふんだんに使った「特製ちゃんぽん」や玉子を入れた「ちゃん玉」など、お店によっては1ランク上のメニューもあります。
 いろいろ食べ比べていくと、ちゃんぽんの味だけでなく、お店の雰囲気や、八幡浜の生活風景なども楽しんでいただけると思います。
 
 ついでに写真も。




コメント
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