おやじのつぶやき

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読書「『国語』という思想 近代日本の言語認識」(イ・ヨンスク)岩波書店

2013-05-13 20:16:02 | 読書無限
 今日の激しい国際的な競争社会の中にあって、日本人がその能力を発揮し、国際人として通用する能力としての英語力を身につけることが最も急がれる課題である、と。
。小学生からの英語教育の必要性、実用的な英語能力の開発、国際人としての英語力を! さまざまなかたちでこれまでの英語教育の見直しと改革が叫ばれ、小学校から社会人まで、そのスキルを磨くための訓練がさまざまなかたちで実施されています。
 一方で、学校現場では「国語」という言い方がまかり通り、ようやく大学等では「日本語(学科)」という言い方に変わりつつあります。
 「国語」と「日本語」。「外国語」に対するものの言い方としてどちらがより適切か? 
 明治期の日本。幕・藩体制から国家としての統合体として「日本国」(大日本帝国)つくり。その要として創出されたのが「国語」。地域の文化、伝統によってさまざまな築かれた「国」民をどう統合し、「富国強兵」「殖産興業」によって近代資本主義国家をつくっていくか、その要となったのが、言語による思想・伝統・文化の統合。まさに「国家」観の涵養、それに基づく「国民」観の養成であったわけです。その主体の任を負ったのが「国語」教育。さらに、日清・日露戦争などを通じて、大陸に日本「国」の橋頭堡を築き、朝鮮・台湾を植民地化した後、いかに「日本国」民として天皇体制のもとにすべての人々を「国民国家」のもとで収斂させていくか、ここにきて、日本語の「国際化」が叫ばれていきます。そのとき、ようやく日本語の持つ言語としての特徴・また弱点(国際語として通用するか)が明らかになってきます。朝鮮語・中国語を操る人々にどうやって「日本語(国語)」を植え付けるか?
 そうした現在と未来とを見据えた論争が戦前、国語学者の間で繰り広げられました。そのなかで、ますます日本語(での表現)の限界が見えてきます。
 言語は、決してコミュニケーションの手段のみではないという、今日では常識的な言語観が生まれていくようになります。それが、そのまま敗戦後の日本の言語政策のぶれにもつながっていきました。そうした過程を克明に論じた書。最初に刊行されてからかなり年月が経っていますが、「国語」というものの成立とその思想性について改めて考えさせられました。
 
 日本語そのものの特性を論じた書を紹介。
池上嘉彦「日本語と日本語論」。
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