2年ぶりの大分・別府。かの名高い温泉に行ったわけではなく、長年、ある団体を通しておつきあい願っていた方が引退され、新しい方がその跡を継いだ、そのお祝いをするために出かけたら、それどころではなく、ご隠居さんが「藍綬褒章」。その話題で、持ちきり。新聞の地元版に写真入りで、でかでかと掲載されていた。
この方、市会議員歴も長く、町会長、民生委員・児童委員、消防団の団長など、多彩な活動を行ってきた(とは噂で聞いていたが、本当だった!)。会えば、年に何回か、ため口どころか、こちらがえらいそうな口をたたく。実に恐れ多いことでした(とはまったく思ってもいませんが)。年の差は充分あるが、こちらの減らず口にも心優しく対応してくれ、ますますこちらも・・・。
そこで、本来の目的はさっさと切り上げ、新旧交えて飲み会になってしまいました(理由はどうでもよく、気持ちよく飲めさえできれば)。
まるで、「勲章」などに無縁(今までもこれからも一生)な小生。改めて、調べました。
褒章(ほうしょう)とは、社会や公共の福祉、文化などに貢献した者を顕彰する日本の栄典の一つ。対象となる事績により、紅綬褒章、緑綬褒章、黄綬褒章、紫綬褒章、藍綬褒章、紺綬褒章の6種類がある、とのこと。
褒章は天皇が授与する栄典! 法的には、戦前は大日本帝国憲法第15条の「其ノ他ノ榮典」であり、戦後は日本国憲法第7条7号に該当する国事行為。
詳細は褒章条例(明治14年太政官布告第63号)により定められる。同条例1条によれば、紅綬褒章は「自己ノ危難ヲ顧ミス人命ノ救助ニ尽力シタル者」、緑綬褒章は「自ラ進デ社会ニ奉仕スル活動ニ従事シ徳行顕著ナル者」、黄綬褒章は「業務ニ精励シ衆民ノ模範タルベキ者」、紫綬褒章は「学術芸術上ノ発明改良創作ニ関シ事績著明ナル者」、藍綬褒章は「教育衛生慈善防疫ノ事業、学校病院ノ建設、道路河渠堤防橋梁ノ修築、田野ノ墾闢、森林ノ栽培、水産ノ繁殖、農商工業ノ発達ニ関シ公衆ノ利益ヲ興シ成績著明ナル者又ハ公同ノ事務ニ勤勉シ労効顕著ナル者」、紺綬褒章は「公益ノ為私財ヲ寄附シ功績顕著ナル者」にそれぞれ授与される、と。
憲法第7条に基づく、天皇の国事行為!
授与された褒章は、授与された本人に限り、終身これを着用することができる。褒章を着用するときは、左胸のあたりに着ける。ただし、授与された者が、懲役刑・禁錮刑・死刑に処された場合、褒章は没収され、褒章授与者としての地位は剥奪される。なお、褒章は独立行政法人である造幣局が製造している。
なお、個人に授与される場合は、褒章(メダル)とともに褒章の記が授与される。褒状、褒章の記ともに、受章者・表彰者の氏名または名称、受章・表彰理由、授与・表彰の年月日と記号番号、天皇の名で授与・表彰する旨が記されて国璽がおされ、内閣総理大臣と内閣府賞勲局長が署名・押印する。日本の法令・行政上の扱いでは、褒章とは「○綬褒章」の名称をもつ褒章のみを指す。
褒章の授与とともに、金銀木杯(賞杯)を授与することもある。特に、公益のために私財を寄附した者に授与される紺綬褒章を授与する場合には、あわせて授与される木杯の基準がその寄附額によって定められている。また、本条例によって表彰されるべき者が死亡したときは、金銀木杯または褒状をその遺族に授与し、これを遺族追賞という。
既に褒章を授与されている者が再度同様の理由によって褒章を授与されるべきときは、その都度銀色の飾版のみを1個授与され、既に授与されている褒章の綬(リボン)に附加して標識とする。この飾版が5個(5回の受章)以上に達したときは、5個ごとに金色の飾版を1個と引き替える。
紅綬褒章・緑綬褒章・黄綬褒章・紫綬褒章・藍綬褒章については、勲章と同様、毎年4月29日(昭和の日)及び11月3日(文化の日)に発令される。各回、約800名に授与され、それぞれ「春の褒章」「秋の褒章」、あわせて「春秋褒章」と呼ばれている。
春秋褒章の授与は、衆議院議長、参議院議長、国立国会図書館長、最高裁判所長官、内閣総理大臣、各省大臣、会計検査院長、人事院総裁、宮内庁長官及び内閣府に置かれる外局の長が、候補者を内閣総理大臣に推薦して行う。内閣総理大臣は、推薦された候補者について審査を行い、褒章の授与について閣議の決定を求める。褒章の伝達は、「内閣総理大臣の命を受け、内閣府賞勲局長が所管大臣に伝達し、所管大臣が適宜受章者に伝達する。」と定められている。褒章の授与は、官報に掲載される。(以上、「Wikipedia」より)
とまあ、仰々しいほどの権威付けがされています。即、褒章になるわけでなく、この方も、市長表彰、知事表彰、総理大臣表彰などここに来るまでにはそうしたものを何回も受けていたとのこと。その上で、ここにたどり着くというわけですね。
そこで、「藍綬褒章(らんじゅほうしょう)」。
1881年(明治14)の太政官布告第63号「褒章条例」によって制定され、教育、衛生事業、学校・病院の建設、道路・橋梁などの修築、田野の開墾、森林の栽培、水産の繁殖などに貢献した人に授与された。現在は、教育、医療、社会福祉、産業振興などの分野で公衆の利益を興した人、また、保護司、民生・児童委員、調停委員などの事務に尽力した人が対象となっている。範囲が広いため、毎回褒章の多くを占め、年間では約1000人が受賞している。◇英訳名:Medal with Blue Ribbon。
ちなみに、褒章制度の根拠として明治14年に制定された「褒章条例」第一条では、藍綬褒章は次のように規定されている。
教育衛生慈善防疫ノ事業、学校病院ノ建設、道路河渠堤防橋梁ノ修築、田野ノ墾闢、森林ノ栽培、水産ノ繁殖、農商工業ノ発達ニ関シ公衆ノ利益ヲ興シ成績著明ナル者又ハ公同ノ事務ニ勤勉シ労効顕著ナル者ニ賜フモノトス
近年では、医師会や労働組合の代表を長年務めてきた者、民生委員・児童委員、国勢調査員、保護司、消防団の団長などが多く藍綬褒章を受賞している。
実際、政財界の名士(?)への叙勲とは違って、保育園の園長さんや商店のおやじさんなどももらっている。主上が無名の民草を思いやっているぞ、という制度ですかね。
いずれにしても、「天皇陛下の名において授与される」ということ。今回は、5月16日に伝達式が行われるということでした。モーニングか羽織袴ですかと聞いたら、略礼服でもいいそうだ、と。参列するための心構えや着付け、お祝いの電報の出し方・・・、微々入り、細に入りそのための業者の宣伝がインターネットにはありました。
こうして、あれやこれや酒の肴に盛り上がり、しこたま飲みました。もちろん、お祝いされる人に飲み代は全部出してもらいました。ごちそうさまでした。これからもお元気で。平均寿命にあと1年余ですが、大幅に超えそうな勢い。
この地でこの方の名を出せば警察も、自衛隊も、泣く子も黙るという権威者(と自称)。でも、最後に寄ったラーメン屋のおばさんは、まるで知らなかった! 今度は、晴れ舞台の東京でお会いしましょう。
ご自宅に立ち寄ったら、地域の各界名士からは、お祝いの花束がたくさん。すてきな「らん」ばかりでした。これはちょっと「ラン」違い!
JR別府駅方向を望む。
アーケード街。このもの寂しさがいいですね。「SOL PASEO GINZA」。
駅前通りにあった看板。「タツノコプロ」「ENTERTAINMENT CITY BEPPU」。
はじめの写真は、「高崎山」。
ま、出身高校に行けば、文化勲章を含めて、褒章・勲章となったら、東京の肉眼で見える星の数(チョッとおおげさですが)ほどいるでしょうが・・・。
この方、市会議員歴も長く、町会長、民生委員・児童委員、消防団の団長など、多彩な活動を行ってきた(とは噂で聞いていたが、本当だった!)。会えば、年に何回か、ため口どころか、こちらがえらいそうな口をたたく。実に恐れ多いことでした(とはまったく思ってもいませんが)。年の差は充分あるが、こちらの減らず口にも心優しく対応してくれ、ますますこちらも・・・。
そこで、本来の目的はさっさと切り上げ、新旧交えて飲み会になってしまいました(理由はどうでもよく、気持ちよく飲めさえできれば)。
まるで、「勲章」などに無縁(今までもこれからも一生)な小生。改めて、調べました。
褒章(ほうしょう)とは、社会や公共の福祉、文化などに貢献した者を顕彰する日本の栄典の一つ。対象となる事績により、紅綬褒章、緑綬褒章、黄綬褒章、紫綬褒章、藍綬褒章、紺綬褒章の6種類がある、とのこと。
褒章は天皇が授与する栄典! 法的には、戦前は大日本帝国憲法第15条の「其ノ他ノ榮典」であり、戦後は日本国憲法第7条7号に該当する国事行為。
詳細は褒章条例(明治14年太政官布告第63号)により定められる。同条例1条によれば、紅綬褒章は「自己ノ危難ヲ顧ミス人命ノ救助ニ尽力シタル者」、緑綬褒章は「自ラ進デ社会ニ奉仕スル活動ニ従事シ徳行顕著ナル者」、黄綬褒章は「業務ニ精励シ衆民ノ模範タルベキ者」、紫綬褒章は「学術芸術上ノ発明改良創作ニ関シ事績著明ナル者」、藍綬褒章は「教育衛生慈善防疫ノ事業、学校病院ノ建設、道路河渠堤防橋梁ノ修築、田野ノ墾闢、森林ノ栽培、水産ノ繁殖、農商工業ノ発達ニ関シ公衆ノ利益ヲ興シ成績著明ナル者又ハ公同ノ事務ニ勤勉シ労効顕著ナル者」、紺綬褒章は「公益ノ為私財ヲ寄附シ功績顕著ナル者」にそれぞれ授与される、と。
憲法第7条に基づく、天皇の国事行為!
授与された褒章は、授与された本人に限り、終身これを着用することができる。褒章を着用するときは、左胸のあたりに着ける。ただし、授与された者が、懲役刑・禁錮刑・死刑に処された場合、褒章は没収され、褒章授与者としての地位は剥奪される。なお、褒章は独立行政法人である造幣局が製造している。
なお、個人に授与される場合は、褒章(メダル)とともに褒章の記が授与される。褒状、褒章の記ともに、受章者・表彰者の氏名または名称、受章・表彰理由、授与・表彰の年月日と記号番号、天皇の名で授与・表彰する旨が記されて国璽がおされ、内閣総理大臣と内閣府賞勲局長が署名・押印する。日本の法令・行政上の扱いでは、褒章とは「○綬褒章」の名称をもつ褒章のみを指す。
褒章の授与とともに、金銀木杯(賞杯)を授与することもある。特に、公益のために私財を寄附した者に授与される紺綬褒章を授与する場合には、あわせて授与される木杯の基準がその寄附額によって定められている。また、本条例によって表彰されるべき者が死亡したときは、金銀木杯または褒状をその遺族に授与し、これを遺族追賞という。
既に褒章を授与されている者が再度同様の理由によって褒章を授与されるべきときは、その都度銀色の飾版のみを1個授与され、既に授与されている褒章の綬(リボン)に附加して標識とする。この飾版が5個(5回の受章)以上に達したときは、5個ごとに金色の飾版を1個と引き替える。
紅綬褒章・緑綬褒章・黄綬褒章・紫綬褒章・藍綬褒章については、勲章と同様、毎年4月29日(昭和の日)及び11月3日(文化の日)に発令される。各回、約800名に授与され、それぞれ「春の褒章」「秋の褒章」、あわせて「春秋褒章」と呼ばれている。
春秋褒章の授与は、衆議院議長、参議院議長、国立国会図書館長、最高裁判所長官、内閣総理大臣、各省大臣、会計検査院長、人事院総裁、宮内庁長官及び内閣府に置かれる外局の長が、候補者を内閣総理大臣に推薦して行う。内閣総理大臣は、推薦された候補者について審査を行い、褒章の授与について閣議の決定を求める。褒章の伝達は、「内閣総理大臣の命を受け、内閣府賞勲局長が所管大臣に伝達し、所管大臣が適宜受章者に伝達する。」と定められている。褒章の授与は、官報に掲載される。(以上、「Wikipedia」より)
とまあ、仰々しいほどの権威付けがされています。即、褒章になるわけでなく、この方も、市長表彰、知事表彰、総理大臣表彰などここに来るまでにはそうしたものを何回も受けていたとのこと。その上で、ここにたどり着くというわけですね。
そこで、「藍綬褒章(らんじゅほうしょう)」。
1881年(明治14)の太政官布告第63号「褒章条例」によって制定され、教育、衛生事業、学校・病院の建設、道路・橋梁などの修築、田野の開墾、森林の栽培、水産の繁殖などに貢献した人に授与された。現在は、教育、医療、社会福祉、産業振興などの分野で公衆の利益を興した人、また、保護司、民生・児童委員、調停委員などの事務に尽力した人が対象となっている。範囲が広いため、毎回褒章の多くを占め、年間では約1000人が受賞している。◇英訳名:Medal with Blue Ribbon。
ちなみに、褒章制度の根拠として明治14年に制定された「褒章条例」第一条では、藍綬褒章は次のように規定されている。
教育衛生慈善防疫ノ事業、学校病院ノ建設、道路河渠堤防橋梁ノ修築、田野ノ墾闢、森林ノ栽培、水産ノ繁殖、農商工業ノ発達ニ関シ公衆ノ利益ヲ興シ成績著明ナル者又ハ公同ノ事務ニ勤勉シ労効顕著ナル者ニ賜フモノトス
近年では、医師会や労働組合の代表を長年務めてきた者、民生委員・児童委員、国勢調査員、保護司、消防団の団長などが多く藍綬褒章を受賞している。
実際、政財界の名士(?)への叙勲とは違って、保育園の園長さんや商店のおやじさんなどももらっている。主上が無名の民草を思いやっているぞ、という制度ですかね。
いずれにしても、「天皇陛下の名において授与される」ということ。今回は、5月16日に伝達式が行われるということでした。モーニングか羽織袴ですかと聞いたら、略礼服でもいいそうだ、と。参列するための心構えや着付け、お祝いの電報の出し方・・・、微々入り、細に入りそのための業者の宣伝がインターネットにはありました。
こうして、あれやこれや酒の肴に盛り上がり、しこたま飲みました。もちろん、お祝いされる人に飲み代は全部出してもらいました。ごちそうさまでした。これからもお元気で。平均寿命にあと1年余ですが、大幅に超えそうな勢い。
この地でこの方の名を出せば警察も、自衛隊も、泣く子も黙るという権威者(と自称)。でも、最後に寄ったラーメン屋のおばさんは、まるで知らなかった! 今度は、晴れ舞台の東京でお会いしましょう。
ご自宅に立ち寄ったら、地域の各界名士からは、お祝いの花束がたくさん。すてきな「らん」ばかりでした。これはちょっと「ラン」違い!
JR別府駅方向を望む。
アーケード街。このもの寂しさがいいですね。「SOL PASEO GINZA」。
駅前通りにあった看板。「タツノコプロ」「ENTERTAINMENT CITY BEPPU」。
はじめの写真は、「高崎山」。
ま、出身高校に行けば、文化勲章を含めて、褒章・勲章となったら、東京の肉眼で見える星の数(チョッとおおげさですが)ほどいるでしょうが・・・。