おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「映像の修辞学」(ロラン・バルト)ちくま学芸文庫

2013-05-14 21:19:18 | 読書無限
 最近、飛行機や電車、旅先の宿で、暇に任せて読み進めていた本を紹介。このところ、20年、30年以上前の哲学者などの著作を読んでいます。今回は、ロラン・バルトもの。刊行は、1980年。実に30年以上。
 今もその先見さに脱帽。言語(作用)へのこだわりが(愛が)その中心。
 読んでいるうちに、気がついたら現役教師時代、私自身のテクストへの向かい方や教授法などけっこう影響を受けていたことを改めて実感。良かったか悪かったか、受験教育的な物も含めて果たして・・・、と、自戒。
 
 ロラン・バルト。1915年生まれ。フランスの批評家・思想家。1953年に『零度のエクリチュール』を出版して以来、言語論、記号論、構造論・・・など多岐に亘って、現代思想にかぎりない影響を与えつづけた。1975年に彼自身が分類した位相によれば、
(1)サルトル、マルクス、ブレヒトの読解をつうじて生まれた演劇論
(2)ソシュールの読解をつうじて生まれた『記号学の原理』『モードの体系』
(3)ソレルス、クリテヴァ、デリダ、ラカンの読解をつうじて生まれた『S/Z』『サド、フーリエ、ロヨラ』『記号の国』
(4)ニーチェの読解をつうじて生まれた『テクストの快楽』『彼自身によるロラン・バルト』などの著作がある。
 そして『恋愛のディスクール・断章』『明るい部屋』を出版したが、その直後、1980年2月25日に交通事故に遭い、3月26日に亡くなった
(以上「みすず書房」HPより)
 当方の読み取りとしては、文学作品、映画、演劇、写真などによる作者の主体として発信される言語メッセージに対して、そのメッセージを受信する者の受け取り方の解釈の可能性についての考察に独自の視点があった(後に大きな影響力をもつ独創性があった)、ということに。

 具体的な写真、映画に当たりながら、「エクリチュール」とその対立概念「パロール」の差異に注目し、「エクリチュール」は快楽の知的媒介として機能するととらえる。それは、ソシュールの言語論に触発されたもの。
 特に哲学(批評的)な立場として引き合いに出されるのは、「作者の死」ということ。バルトは、「作者」という概念に疑問を投げかける。ふつう「作品」を鑑賞するということは、作者の意図を正確に理解することであるととらえる。しかし、作品とは様々なものが引用された織物のような物であり、それを解くのは読者であるとして、芸術作品に対してこれまで受動的なイメージしかなかった受信者の側の創造的な側面を強調した。
 この書は、
①広告(写真)からいくつもの記号をつかみだし、言語的メッセージを読み取っていく。
②報道写真やグラビア写真から構図、手法を読み取る作業。
③映画作品の記号論的な魅力。
 そして、訳者の一人、蓮實重彦さんと杉本紀子さんの解説が掲載されている。蓮見さんの論説「ロラン・バルトまたは複数化する断片」は、バルトの言論の奥深さ、魅力を語っていて興味深い。誤訳への軽いたしなめも含めて。

 お薦め。
『恋愛のディスクール・断章』
コメント
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