おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「見ること」と「見られること」(読書「イメージ 視覚とメディア」)

2013-05-23 19:31:46 | 読書無限
 この絵は、「毛皮をまとったヘレーネ・フォアメント」ルーベンス(P90に掲載)。
 最初の妻イザベラが死去した4年後の1630年、当時53歳だったルーベンスは16歳のヘレーネ・フォアメントと再婚した。この肖像画は、古代ギリシア彫刻によく見られる「恥じらいのヴィーナス」のポーズで描かれている。が、・・・。



 この絵に関する著者の指摘。
 「彼女の肉体は直接的な光景でとしてではなく、体験、つまり画家の体験として我々に向き合う。なぜなのか。・・・重要な理由は形式的なものである。彼女の姿は画家の主観の反映なのだ。彼女がまとっている毛皮の下で彼女の上半身と下半身は交わることはない。9インチほどの誤差がある。彼女の腿が腰と接するには9インチほど左に離れすぎているのである。」(P91)注:9インチは、約23㎝。
 「・・・彼女の上半身と下半身は別々に反対方向に回転することが可能になり、・・・同時に、この隠された性器は黒い毛皮のコートによって、絵の中のすべての闇と結びつき、彼女は彼女の性のメタファーとなった闇のなかをうごめくことになる」(同)
 
 そこから、一方では画家、思想家、パトロン、所有者(多くは富める者)の個人主義があり、他方では彼らの行為の対象となる女性が物や抽象のように扱われていると言う現実的な矛盾が、「見る者」(男性)と「見られる者」(女性)との間に存在していること、さらに、理想的なヌード(像)が壊れ、その重要さを失いつつある過程を明らかにしていく。
 この書では、図版が多く取り入られ、「ものを見る」とはどういう意味(意義)か、イメージという言葉でくくられながらも、実は曖昧な(さまざまな)事物(見る対象)の氾濫の中で、「見ること」そのものを捉え直している。巻末に、伊藤俊治「見ることのトポロジー」も。俯瞰的な立場から見ることの位相、変容を解説した、分かりやすく興味深い論文が載せられている。

「見るということ」(ジョン・バージャー)ちくま学芸文庫。
「肖像写真」(多木浩二)岩波新書。
 

 
コメント
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