おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

国府本郷の一里塚。二宮駅。ガラスのうさぎ像。・・・(平塚から二宮まで。その5。)

2014-10-09 18:54:24 | 旧東海道

 そのまま「城山公園」に沿ってカーブする広い道(バス通り)は行かずに、公園入口手前の左手の狭くまっすぐな道が旧東海道。少し間違えやすいので注意が必要でした。
 一人の青年がしきりにその分岐点のところで、手元の地図らしきものと辺りを見回して確認していました。そして、おもむろに左の道をずんずん歩いていきます。「旧東海道探索」の同好の士かと思い、その後をついて行って正解でした。
 しかし、しばらく歩きながら川を眺めたりしているうちに、その青年の姿を見失いました。その人は、ただ「城山公園」近くにある目的地を確認していただけなのかもしれません。でも、助かりました。


 
 ほとんど車も人も通らない住宅地の中を進む道。
「不動川」(「葛川」水系)を渡る。
 緩やかな上り坂。この道でいいのか不安になりそう。


 ゆっくり上がっていくと、民家前の舗装道路。足下にこんなプレートが。
「江戸から十七里」。ここが日本橋から17番目の一里塚があった辺り。


 敷地の一角にあった道祖神。西方を望む。


 来た道を振り返る。静かな住宅街。
 道が再び「国道1号線」に近づいていく。その手前の緑地帯。

 
 「国府本郷の一里塚」碑と説明板。

 ・・・17番目の一里塚が国府本郷村地内にありました。国府本郷の一里塚は実際にはここより約200mほど江戸寄りに位置していました。塚の規模は不明ですが、東海道をはさんで左右一対の塚の上には、それぞれ榎が植えられていたようです。
 この国府本郷村の一里塚は、東海道の記憶を伝えるために、平成14年の東海道シンポジウム大磯宿大会を記念して築造したものです。

 これで、先ほどの道路に埋め込まれていた「江戸から十七里」プレートが本来の位置だったことがわかります。

現東海道と旧東海道との間にある緑地帯。右が現東海道。

 しばらくは旧東海道は、国道1号線と平行に進みます。

 

 
 道祖神。
  
 来た道を振り返る。右が現東海道、左が旧東海道。

 こうして再び合流します。そして、ひたすら「二宮」を目指して歩くことに。



 左手奥の海岸に有名な?「大磯ロングビーチ」があります。聞いたことがあるだけで、来たことはない。

施設内マップ(公式HPより)。かなり広いんですね。


 街道沿いには、平屋つくりで道路側の間口を広く開けたかたちをした家屋(商家のなごり?)がまだ残っている。


 松並木が再登場して、「二宮」に入る。

「潮海の名残」。
 「葛川」に架かる橋のたもとにあった標識。ここまで潮の満ち引き(浜辺)があったということに。

「葛川」。「大磯ロングビーチ」の北側を流れ、相模灘に注ぐ。

「日本橋まで73㎞」。けっこうやってきました。東海道はまだまだ続きますが、今回はここまで。

来た道を振り返る。

現在(「今昔マップ」より)。赤い○のところが、旧東海道。現東海道の北側をしばらく並行して進む。

大正時代(「同」より)。「一里塚」付近にひとまとまりの集落が確認できる。

二宮駅前ロータリーにある「ガラスのうさぎ」像。

説明碑。

 太平洋戦争終結直前の昭和二十年八月五日 ここ(国鉄)二宮駅周辺は艦載機P51の機銃掃射を受け 幾人かの尊い生命がその犠牲となりました
 この時 目の前で父を失った十二歳の少女が その悲しみを乗り越え けなげに生き抜く姿を描いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」は 国民の心に深い感動を呼び起こし 戦争の悲惨さを強く印象づけました
 この像は私たち二宮町民が 平和の尊さを後世に伝えるために また少女を優しく励ました人たちの友情をたたえるために 多くの方々のご協力をいただき 建てたものです 
少女が胸に抱えているのは 父の形見となったガラスのうさぎです

 ここに平和と友情よ永遠に

 昭和五十六年八月五日 「ガラスのうさぎ」像を二宮駅に建てる会

 以下は、「神奈川新聞」の記事。
       
 平和の尊さを後世に伝えようと、JR二宮駅南口に建立された「ガラスのうさぎ像」に1日、色とりどりの千羽鶴約11万7千羽が飾り付けられた。作業をした町民らはあらためて、戦争のない平和な世界に思いをはせた。15日まで飾られている。
 終戦直前の1945年8月5日、同駅近くで米軍機による機銃掃射があり、児童文学作家・高木敏子さんは目の前で父を失った。ロングセラー「ガラスのうさぎ」はその体験を基にした児童文学で、作品にちなんだ像は町民の寄付などで81年に建立された。
 千羽鶴の飾り付けは、建立30年を記念して2010年にスタート。折り鶴は7月1~18日の期間、町内だけでなく藤沢や横浜などからも持ち寄られた。それぞれに糸を通して束にする作業は4日間ほど、町民有志が集まった「ガラスのうさぎ像を千羽鶴で飾りましょう実行委員会」(萩原弘子委員長)のメンバーらが担った。
 この日、メンバーらは運び込んだ千羽鶴を像周辺へ飾り付け。細かく丁寧に折られた鶴がびっしりと集まった束もあり、作業の手をしばらく止めて「本当にきれいね」などと話していた。萩原委員長は「今は一見平和な世の中で、平和の大切さを忘れてしまいがち。ガラスのうさぎ像を通して、この小さな町から大切さをアピールしたい」と話していた。
・・・
(2014/8/2)
HPより)

 次回は、小田原宿へ。
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