(9:08)旧「金崎宿」の街並み。
9月1日(土)。曇り時々雨。暑さもほどほど、曇りの予報ということで出掛けます。しかし、けっこう蒸し暑く、汗だくだくの歩きでした。ときおり雨が降って、かえって少し楽に。
どうも残りの行程が中途半端な感じ。かといって、今回、1日で行くのは距離がありそうだし(健脚なら行けるでしょうが)、と。
①JR高崎線「倉賀野」駅~東武伊勢崎線「境町」駅 (「日光例幣使街道」)
②東武伊勢崎線「境町」駅~「太田」駅 (「同」)
③東武伊勢崎線「太田」駅~「福居」駅 (「同」)→午後4時過ぎから
(注:②、③は、炎天下の歩きだったため途中で挫折、2回に分けた。)
④「福居」駅~JR両毛線「岩舟」駅。 (「同」)
⑤「岩舟」駅~東武日光線「東武金崎」駅(「同」
そして今回⑥「東武金崎」駅~「下小代」駅 (「同」+「壬生街道」)
最終回⑦「下小代」駅~「下今市」駅。(「壬生街道」+「日光道中」)という予定。7日目(最終回)は余裕の行程となります。
JR線「小山」駅から東武線「楡木」駅まで、電車を利用しての「壬生街道(「日光西街道」とも)歩きは、別の機会に譲って。
立派な屋敷門。航空写真だと緑におおわれたお屋敷があるようですが。
その先、右手に門構えの立派なおうち。
「日光例幣使街道」の標示。
道沿いには間もなく収穫時期を迎えそうな田んぼ。
(9:16)本陣を勤めていた古澤家。
お隣の門構え。この付近では立派な門のおうちが目立ちます。
「例幣使街道」はこの先で右手の直線道路に入って行きます。
道の脇には道標。
正面が「思川」に架かる「小倉橋」方向。
(9:28)「思川」という標識のところで県道に合流し、右手の橋へ。
「思川」下流方向。右手が「金崎」。
旧道は「思川」で失われているようです。土手道を進もうと思いましたが、深く草に覆われて通行できず。
(↓)
その先にも北に向かう道路(「googleマップ」ではこの道が「例幣使道」と記されています)。しかし、その道には降りられません。
そのため、橋を渡り終えた先にある交差点を左折し、「国道293号線」を進みます。そこから振り返って望む。
行き止まりの舗装道路。
土手からの道も通行可のようす。
気を取り直して、「国道」を進みます。
(9:48)右手に「磐裂根裂神社(いわさくねさくじんじゃ)」。その神社の裏手には「女人講十九夜塔」が並んでいます。「日光まで36㎞」と。
東武日光線特急が通過中。
「国道293号線」の標示。
ここにも店先に大きなカエルの置物。
「磯町」交差点。
(10:13)「東北自動車道」の高架下を通過します。
右手奥に小山からの「壬生街道(日光西街道)」が見えてきます。
ここにも「馬力神」。最近、再建されたもののようです。
「屋敷門」。
「長屋門」。
こちらの門も質素ながら趣きあり。
「殉国之碑」の隣に小さな「勝善神」。
勝善神については、
『おおひらの野仏』(中島昭/著 出版者不明 1979)p66-67より
「勝善は正しくは蒼前(または聡〔馬偏に前〕)で、つまり葦毛で四本の足の膝から下が白い馬のことをさし、葦毛の馬は七聡八白といい八才になると白馬になると信じられている。
従って東北地方では「ショウデンサマ」と呼び、蒼前のような名馬の誕生を祈って祭った信仰である。
この信仰の本宮は、岩手県水沢市の駒が岳にある駒形神社で、この神社の絵馬にも葦毛四白の名馬が画かれている。
つまり、普通の馬頭観音信仰が馬の安全や健康を祈ったり、死馬の冥福を祈ったりするものであるのに対して、勝善神は、主として馬産地において名馬の誕生を祈願する意味の強い信仰であるといえよう。
もちろん、勝善もショウデンも蒼前=〔ソウゼン〕がなまったものである。」
・・・
(以上、「」HPより)
日光道中(日光街道)宇都宮宿を出た先に、「勝善神」の大きな石碑がありました。
勝善神の碑(そうぜんしんのひ)
「勝善神」は、「蒼善神」とも書き、馬の神を祀ったもの。主に関東、東北地方で信仰の対象であったとされます。
これは再建された(と思われる)「馬頭観世音」。
「馬力神」「勝善神」「馬頭観音」と馬にまつわる石塔に出会います。
(10:21)この先で、いよいよ「壬生街道(日光西街道)」との追分になります。
9月1日(土)。曇り時々雨。暑さもほどほど、曇りの予報ということで出掛けます。しかし、けっこう蒸し暑く、汗だくだくの歩きでした。ときおり雨が降って、かえって少し楽に。
どうも残りの行程が中途半端な感じ。かといって、今回、1日で行くのは距離がありそうだし(健脚なら行けるでしょうが)、と。
①JR高崎線「倉賀野」駅~東武伊勢崎線「境町」駅 (「日光例幣使街道」)
②東武伊勢崎線「境町」駅~「太田」駅 (「同」)
③東武伊勢崎線「太田」駅~「福居」駅 (「同」)→午後4時過ぎから
(注:②、③は、炎天下の歩きだったため途中で挫折、2回に分けた。)
④「福居」駅~JR両毛線「岩舟」駅。 (「同」)
⑤「岩舟」駅~東武日光線「東武金崎」駅(「同」
そして今回⑥「東武金崎」駅~「下小代」駅 (「同」+「壬生街道」)
最終回⑦「下小代」駅~「下今市」駅。(「壬生街道」+「日光道中」)という予定。7日目(最終回)は余裕の行程となります。
JR線「小山」駅から東武線「楡木」駅まで、電車を利用しての「壬生街道(「日光西街道」とも)歩きは、別の機会に譲って。
立派な屋敷門。航空写真だと緑におおわれたお屋敷があるようですが。
その先、右手に門構えの立派なおうち。
「日光例幣使街道」の標示。
道沿いには間もなく収穫時期を迎えそうな田んぼ。
(9:16)本陣を勤めていた古澤家。
お隣の門構え。この付近では立派な門のおうちが目立ちます。
「例幣使街道」はこの先で右手の直線道路に入って行きます。
道の脇には道標。
正面が「思川」に架かる「小倉橋」方向。
(9:28)「思川」という標識のところで県道に合流し、右手の橋へ。
「思川」下流方向。右手が「金崎」。
旧道は「思川」で失われているようです。土手道を進もうと思いましたが、深く草に覆われて通行できず。
(↓)
その先にも北に向かう道路(「googleマップ」ではこの道が「例幣使道」と記されています)。しかし、その道には降りられません。
そのため、橋を渡り終えた先にある交差点を左折し、「国道293号線」を進みます。そこから振り返って望む。
行き止まりの舗装道路。
土手からの道も通行可のようす。
気を取り直して、「国道」を進みます。
(9:48)右手に「磐裂根裂神社(いわさくねさくじんじゃ)」。その神社の裏手には「女人講十九夜塔」が並んでいます。「日光まで36㎞」と。
東武日光線特急が通過中。
「国道293号線」の標示。
ここにも店先に大きなカエルの置物。
「磯町」交差点。
(10:13)「東北自動車道」の高架下を通過します。
右手奥に小山からの「壬生街道(日光西街道)」が見えてきます。
ここにも「馬力神」。最近、再建されたもののようです。
「屋敷門」。
「長屋門」。
こちらの門も質素ながら趣きあり。
「殉国之碑」の隣に小さな「勝善神」。
勝善神については、
『おおひらの野仏』(中島昭/著 出版者不明 1979)p66-67より
「勝善は正しくは蒼前(または聡〔馬偏に前〕)で、つまり葦毛で四本の足の膝から下が白い馬のことをさし、葦毛の馬は七聡八白といい八才になると白馬になると信じられている。
従って東北地方では「ショウデンサマ」と呼び、蒼前のような名馬の誕生を祈って祭った信仰である。
この信仰の本宮は、岩手県水沢市の駒が岳にある駒形神社で、この神社の絵馬にも葦毛四白の名馬が画かれている。
つまり、普通の馬頭観音信仰が馬の安全や健康を祈ったり、死馬の冥福を祈ったりするものであるのに対して、勝善神は、主として馬産地において名馬の誕生を祈願する意味の強い信仰であるといえよう。
もちろん、勝善もショウデンも蒼前=〔ソウゼン〕がなまったものである。」
・・・
(以上、「」HPより)
日光道中(日光街道)宇都宮宿を出た先に、「勝善神」の大きな石碑がありました。
勝善神の碑(そうぜんしんのひ)
「勝善神」は、「蒼善神」とも書き、馬の神を祀ったもの。主に関東、東北地方で信仰の対象であったとされます。
これは再建された(と思われる)「馬頭観世音」。
「馬力神」「勝善神」「馬頭観音」と馬にまつわる石塔に出会います。
(10:21)この先で、いよいよ「壬生街道(日光西街道)」との追分になります。