「北大路銀座茶寮」。
こんな暑い昼日中にわざわざって地下鉄で一本か。こっちの方が遠くから乗り換えてきましたわ。
整体? ツボを押す、押されるだけだけど。
2週間もご無沙汰したので、何となく体はすっきり軽くなった感じ。
どこにします? へえ、「東銀座」駅が歌舞伎座の地下につながっているんだ、知らなかったわ。
あまりこの辺は来ないし、いつも整体の行き帰りで、精一杯。
上で待つのは暑いんで、ここに腰掛けて待っていたわけよ。
最近、こんな風にしゃれたお土産店が並んでいるのね。でも外国人相手かも。「歌舞伎座」が改築されてからなのかな。
歌舞伎の幕間(まくあい)で食べられそうなるお弁当なんかも売っているんだ。
買ってここに座って食べればいいじゃないか、って。
そんなんじゃ、って勝手言って悪いけど。
どこかお店のあてがあるんでしょ。そこでいいわよ。
やっぱり外は暑いわね。早くお店に入りましょうよ。
「松屋通り」沿いにあるのか、ここ、この地下にあるみたいよ。すてきな店構えね。やれやれやっと涼しくなったわね。
いつまでこの暑さが続くのかしらね。じじばばには堪えられないわね。
このところ娘と孫が来て2週間もいたのよ、医者通いもできないし、もう疲れたわよ。
やっと豆台風も去って、外出できたってわけ。
でも、なんだかんだ来てくれるのは、うれしいわね。
宿題も出ていて、つきあわされたわ。習字なんかもあるのよね。筆なんかないじゃない。
あとは音読。しっかりやったら確認の印を付ける。
やったことにして印をつけたらいいじゃないかって、そうもいかないわよ。
娘はうちから寝泊まりしながら出勤でしょ。朝早くから。
帰ってきたら、どうした宿題は、って聞かれるからいい加減にできないしさ。
ま、普段はむこうのじじばばが面倒見てくれているから、せめて夏休みくらいはね。学童クラブにも付き合わされているようすだし。
お風呂もいっしょに入るっていうし、・・・
でも、かわいいわよね。
さてと何にします。ここ、なかなか落ち着いたお店ね。個室なのもいいしね、ま、ゆっくり出来るわね。
ランチはこれとこれか。お造りがつくと・・・。
わたしはこっちでいいわ。
つまんで食べていいわよ。
では、乾杯!
このあいだ、ずっと昔勤めていた会社の保養所へ家族で行ったのよ、けっこう混んでいて、満員。
そりゃ、お盆で夏休みの社員もいたから仕方ないけれど。
だからなのかな、食事がひどかったのよ。天ぷらなんか冷えて固くなっているし、・・・。料理長が交代したようね。
前は社員扱いだったのが、業者に委託しているみたいで。
最近は出掛けても、どうも食事にははずれが多くて。この前の奥多摩渓谷も、景色はまあまあだったけれど、食事は今ひとつだった。
ここはおいしいいわね。器も凝っているし。
この「北大路」って、ほら、あの、有名な「北大路魯山人」と関係があるのかしらね。名前にあやかって、というだけじゃないように思うけど。
「銀座茶寮」というのも、これも魯山人伝説の「星岡茶寮」というのに似せているようだし。
無関係だったら、ネーミング権なんか問題はないのかしらね。
ただ、銀座の本店もそうだけど、北大路魯山人さんの食・器へのこだわりを受け継いでいこう、というプライド・自負心はけっこうありそうよね。
みなさんの接客態度もきちんとしているし、地下にこんなお店があるとは思えないわ。
個室スタイルというのもいいわよね。けっこう落ち着けそう。
でも、夜はお値段の方も、それなりに高いと思うわ。
会社の大事な接待とかで使う? あとはご両家の引き合わせとか、・・・。
ランチもちょっと高めだけれど、たまにはいいわよね。
これ、いいわよ食べて。こっちも。こんなには食べられないから。
飲み物のおかわりはどうする?
相変わらず炎天下で「例幣使街道」とかいうの? 街道歩きをしているようね。でも、栃木なんか何にもないでしょう。
お寺さんがあるので、車で親やお爺さんたちのお墓参りに行くだけ。あんまり街中を歩いたことはない。
栃木にもだんだん行かなくなりそうよ、こっちも年取ってきたしね。
「あぶでん」には立ち寄ったことがあるわ、味噌田楽のお店。あとはあまり知らないわ。
あそこは、小さな鄙びた街。
県庁所在地も宇都宮に持って行かれちゃうし。
「巴波川」沿いだってたいしたことはない、って思うんだけど。
でも、街道歩きの方には、見世蔵など魅力的かもしれない。
わたしにもやっぱり愛着がわくっていうかなんていうか、気になる存在よね。
山本有三ってあそこの出身なんだ、知らなかったわ。
へえ、ニュージーランドから青年がホームステイしてたのか、10日間。そういう体験っていいわよね。お孫さんたちにも。
あそこは、けっこういいところみたいよね。今は真冬でしょ、いきなり20度以上も高いところへ来たんだから大変そうね。
けっこうのんびりしているんだ。おおらかな風土のおかげでおおらかなのかなあ、お国柄っていうの。
さて、もう少しここにいてもいいんじゃない。相変わらず、ていうかますますせっかちなんだから。
分刻みじゃなくて、時間刻みでいこうよ、ニュージーランドの青年のようにさ。
そうそう、北大路 魯山人さんについて、ちょっぴりまとめておくわね。
1883年(明治16年)3月23日 - 1959年(昭和34年)12月21日)本名は北大路 房次郎(きたおおじ ふさじろう)。
晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。
魯山人は母の不貞によりできた子で、それを忌んだ父は割腹自殺を遂げた。生後すぐ里子に出され6歳で福田家に落ち着くまで養家を転々とした。この出自にまつわる鬱屈は終生払われることはなく、また魯山人の人格形成に深甚な影響を及ぼした。
6度の結婚(1908年、17年、27年、38年、40年、48年)はすべて破綻、2人の男児は夭折した。娘を溺愛したものの長じて魯山人の骨董を持ち出したことから勘当し、最晩年にいたっても魯山人の病床に呼ぶことすら許さなかった。その一方、家庭の温かみに飢えていた魯山人は、ラジオやテレビのホームドラマの何気ない会話、微笑ましい場面によく肩を震わせ涙を流して嗚咽したという。
美食家として名を馳せた魯山人は、フランス料理の外見偏重傾向に対しても厳しく、渡仏の際に訪れた鴨料理店「トゥール・ダルジャン」で、「ソースが合わない」と味そのものを評価し、自ら持参したわさび醤油で食べたこともあった。
つねに傲岸(ごうがん)・不遜・狷介(けんかい)・虚栄などの悪評がつきまとい、毒舌でも有名で、柳宗悦・梅原龍三郎・横山大観・小林秀雄といった戦前を代表する芸術家・批評家から、世界的画家・ピカソまでをも容赦なく罵倒した。この傲慢な態度と物言いが祟り、1936年(昭和11年)に星岡茶寮から追放されてしまう。逆にその天衣無縫ぶりは、久邇宮邦彦王・吉田茂などから愛されもした。
気難しい人物で、晩年魯山人の家で働いていた手伝い曰く「風呂から上がると、決まった時間にキンキンに冷えたビールがさっと出てこないと満足できない方だった。それができなくて叱られ、辞めていったお手伝いさんを何人も見た」とのこと。
(以上、写真を含め、「Wikipedia」参照。)
里子に出され、養家を転々として小さい頃は大変苦労したようね。それでも、食に対する関心は強くて、子供の頃から自ら工夫して美味しいものをつくっていた、とか。
それに書道でも小さい頃からかなりの才能ぶりをみせたようね。転機が訪れるのは36歳の時だったとか。
古美術骨董を扱う店を共同で始めたんだけど、そこで、店で扱う器に料理を盛りつけ、ふるまうようになったってわけね。
料理と器との取り合わせの妙が評判になり、さらにそれが会員制料亭へとなり、そして「星岡(ほしがおか)茶寮」になったのね。
お店の場所は、日枝神社の裏手にあたるところよね。
はやってきて、店にある器だけでは対応しきれず、お料理を盛りつける器を自ら制作することに。
そのために「星岡窯(せいこうよう)」を鎌倉に開き、陶磁器の制作にも、力を注いでいくことになるのね。
多芸な方だったのね。
(「北大路魯山人 | しぶや黒田陶苑」HPより)
家庭的には恵まれず、かなりの偏屈な人物だったようだけど、でも、その遺した陶器、けっこう高価らしいわね。食へのこだわりは今でも受け継がれているようだし。
このお店の器もけっこう趣があるわね、魯山人さんのものなのかしら。そんな感じがするけど。
そうそう、納豆、上方の人なのに納豆が大好きだったみたい。
納豆のかき混ぜ方にもかなりの蘊蓄があったようで、もう納豆の粘りへのこだわりは並みではなかった。
納豆の究極の食べ方として、知る人ぞ知る食し方。
納豆を、深めの鉢に移して、箸で掻き混ぜること305回、さらに醤油を2回に分けて加え119回。計424回混ぜることで、うま味の増加がピークに達し、ふわふわの泡に包まれた、濃厚な味わいの納豆になるというのがものの本に載っていて、北大路魯山人流だったとか。
回数は本当なのかしらね。
それでも、このあいだ見たTVで、そんな話、何回も何回もかき混ぜる方が納豆の味も効能も勝る、夏ばてに最高、とか言っていたわね。
あなたなんかせっかちだから、どうせちょちょこっと混ぜて、ずるずる音を立ててすすって食べているんじゃないの。
それでは通人の魯山人さんとは雲泥の差ね。
「納豆茶漬け」もおいしいらしいけど、わたしは勘弁願いたいわ。
注:「星岡茶寮」は、1945年(昭和20年)には空襲によって焼失した。
その後いくつか変遷を経て、現在、その跡地に「東急キャピトルタワー」が建設され、タワー内でザ・キャピトルホテル 東急が営業している。
「日枝神社」の奥。
ごちそうさまでした。暑いけど、少し歩いてお茶にしましょうか、といっても、今日は暑すぎ。
もっと涼しくなったらゆっくりとお話ししたいですわ。今度は12月かな、って。もう涼しさを過ぎて、寒くなっているかもね。
See You Again.
こんな暑い昼日中にわざわざって地下鉄で一本か。こっちの方が遠くから乗り換えてきましたわ。
整体? ツボを押す、押されるだけだけど。
2週間もご無沙汰したので、何となく体はすっきり軽くなった感じ。
どこにします? へえ、「東銀座」駅が歌舞伎座の地下につながっているんだ、知らなかったわ。
あまりこの辺は来ないし、いつも整体の行き帰りで、精一杯。
上で待つのは暑いんで、ここに腰掛けて待っていたわけよ。
最近、こんな風にしゃれたお土産店が並んでいるのね。でも外国人相手かも。「歌舞伎座」が改築されてからなのかな。
歌舞伎の幕間(まくあい)で食べられそうなるお弁当なんかも売っているんだ。
買ってここに座って食べればいいじゃないか、って。
そんなんじゃ、って勝手言って悪いけど。
どこかお店のあてがあるんでしょ。そこでいいわよ。
やっぱり外は暑いわね。早くお店に入りましょうよ。
「松屋通り」沿いにあるのか、ここ、この地下にあるみたいよ。すてきな店構えね。やれやれやっと涼しくなったわね。
いつまでこの暑さが続くのかしらね。じじばばには堪えられないわね。
このところ娘と孫が来て2週間もいたのよ、医者通いもできないし、もう疲れたわよ。
やっと豆台風も去って、外出できたってわけ。
でも、なんだかんだ来てくれるのは、うれしいわね。
宿題も出ていて、つきあわされたわ。習字なんかもあるのよね。筆なんかないじゃない。
あとは音読。しっかりやったら確認の印を付ける。
やったことにして印をつけたらいいじゃないかって、そうもいかないわよ。
娘はうちから寝泊まりしながら出勤でしょ。朝早くから。
帰ってきたら、どうした宿題は、って聞かれるからいい加減にできないしさ。
ま、普段はむこうのじじばばが面倒見てくれているから、せめて夏休みくらいはね。学童クラブにも付き合わされているようすだし。
お風呂もいっしょに入るっていうし、・・・
でも、かわいいわよね。
さてと何にします。ここ、なかなか落ち着いたお店ね。個室なのもいいしね、ま、ゆっくり出来るわね。
ランチはこれとこれか。お造りがつくと・・・。
わたしはこっちでいいわ。
つまんで食べていいわよ。
では、乾杯!
このあいだ、ずっと昔勤めていた会社の保養所へ家族で行ったのよ、けっこう混んでいて、満員。
そりゃ、お盆で夏休みの社員もいたから仕方ないけれど。
だからなのかな、食事がひどかったのよ。天ぷらなんか冷えて固くなっているし、・・・。料理長が交代したようね。
前は社員扱いだったのが、業者に委託しているみたいで。
最近は出掛けても、どうも食事にははずれが多くて。この前の奥多摩渓谷も、景色はまあまあだったけれど、食事は今ひとつだった。
ここはおいしいいわね。器も凝っているし。
この「北大路」って、ほら、あの、有名な「北大路魯山人」と関係があるのかしらね。名前にあやかって、というだけじゃないように思うけど。
「銀座茶寮」というのも、これも魯山人伝説の「星岡茶寮」というのに似せているようだし。
無関係だったら、ネーミング権なんか問題はないのかしらね。
ただ、銀座の本店もそうだけど、北大路魯山人さんの食・器へのこだわりを受け継いでいこう、というプライド・自負心はけっこうありそうよね。
みなさんの接客態度もきちんとしているし、地下にこんなお店があるとは思えないわ。
個室スタイルというのもいいわよね。けっこう落ち着けそう。
でも、夜はお値段の方も、それなりに高いと思うわ。
会社の大事な接待とかで使う? あとはご両家の引き合わせとか、・・・。
ランチもちょっと高めだけれど、たまにはいいわよね。
これ、いいわよ食べて。こっちも。こんなには食べられないから。
飲み物のおかわりはどうする?
相変わらず炎天下で「例幣使街道」とかいうの? 街道歩きをしているようね。でも、栃木なんか何にもないでしょう。
お寺さんがあるので、車で親やお爺さんたちのお墓参りに行くだけ。あんまり街中を歩いたことはない。
栃木にもだんだん行かなくなりそうよ、こっちも年取ってきたしね。
「あぶでん」には立ち寄ったことがあるわ、味噌田楽のお店。あとはあまり知らないわ。
あそこは、小さな鄙びた街。
県庁所在地も宇都宮に持って行かれちゃうし。
「巴波川」沿いだってたいしたことはない、って思うんだけど。
でも、街道歩きの方には、見世蔵など魅力的かもしれない。
わたしにもやっぱり愛着がわくっていうかなんていうか、気になる存在よね。
山本有三ってあそこの出身なんだ、知らなかったわ。
へえ、ニュージーランドから青年がホームステイしてたのか、10日間。そういう体験っていいわよね。お孫さんたちにも。
あそこは、けっこういいところみたいよね。今は真冬でしょ、いきなり20度以上も高いところへ来たんだから大変そうね。
けっこうのんびりしているんだ。おおらかな風土のおかげでおおらかなのかなあ、お国柄っていうの。
さて、もう少しここにいてもいいんじゃない。相変わらず、ていうかますますせっかちなんだから。
分刻みじゃなくて、時間刻みでいこうよ、ニュージーランドの青年のようにさ。
そうそう、北大路 魯山人さんについて、ちょっぴりまとめておくわね。
1883年(明治16年)3月23日 - 1959年(昭和34年)12月21日)本名は北大路 房次郎(きたおおじ ふさじろう)。
晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。
魯山人は母の不貞によりできた子で、それを忌んだ父は割腹自殺を遂げた。生後すぐ里子に出され6歳で福田家に落ち着くまで養家を転々とした。この出自にまつわる鬱屈は終生払われることはなく、また魯山人の人格形成に深甚な影響を及ぼした。
6度の結婚(1908年、17年、27年、38年、40年、48年)はすべて破綻、2人の男児は夭折した。娘を溺愛したものの長じて魯山人の骨董を持ち出したことから勘当し、最晩年にいたっても魯山人の病床に呼ぶことすら許さなかった。その一方、家庭の温かみに飢えていた魯山人は、ラジオやテレビのホームドラマの何気ない会話、微笑ましい場面によく肩を震わせ涙を流して嗚咽したという。
美食家として名を馳せた魯山人は、フランス料理の外見偏重傾向に対しても厳しく、渡仏の際に訪れた鴨料理店「トゥール・ダルジャン」で、「ソースが合わない」と味そのものを評価し、自ら持参したわさび醤油で食べたこともあった。
つねに傲岸(ごうがん)・不遜・狷介(けんかい)・虚栄などの悪評がつきまとい、毒舌でも有名で、柳宗悦・梅原龍三郎・横山大観・小林秀雄といった戦前を代表する芸術家・批評家から、世界的画家・ピカソまでをも容赦なく罵倒した。この傲慢な態度と物言いが祟り、1936年(昭和11年)に星岡茶寮から追放されてしまう。逆にその天衣無縫ぶりは、久邇宮邦彦王・吉田茂などから愛されもした。
気難しい人物で、晩年魯山人の家で働いていた手伝い曰く「風呂から上がると、決まった時間にキンキンに冷えたビールがさっと出てこないと満足できない方だった。それができなくて叱られ、辞めていったお手伝いさんを何人も見た」とのこと。
(以上、写真を含め、「Wikipedia」参照。)
里子に出され、養家を転々として小さい頃は大変苦労したようね。それでも、食に対する関心は強くて、子供の頃から自ら工夫して美味しいものをつくっていた、とか。
それに書道でも小さい頃からかなりの才能ぶりをみせたようね。転機が訪れるのは36歳の時だったとか。
古美術骨董を扱う店を共同で始めたんだけど、そこで、店で扱う器に料理を盛りつけ、ふるまうようになったってわけね。
料理と器との取り合わせの妙が評判になり、さらにそれが会員制料亭へとなり、そして「星岡(ほしがおか)茶寮」になったのね。
お店の場所は、日枝神社の裏手にあたるところよね。
はやってきて、店にある器だけでは対応しきれず、お料理を盛りつける器を自ら制作することに。
そのために「星岡窯(せいこうよう)」を鎌倉に開き、陶磁器の制作にも、力を注いでいくことになるのね。
多芸な方だったのね。
(「北大路魯山人 | しぶや黒田陶苑」HPより)
家庭的には恵まれず、かなりの偏屈な人物だったようだけど、でも、その遺した陶器、けっこう高価らしいわね。食へのこだわりは今でも受け継がれているようだし。
このお店の器もけっこう趣があるわね、魯山人さんのものなのかしら。そんな感じがするけど。
そうそう、納豆、上方の人なのに納豆が大好きだったみたい。
納豆のかき混ぜ方にもかなりの蘊蓄があったようで、もう納豆の粘りへのこだわりは並みではなかった。
納豆の究極の食べ方として、知る人ぞ知る食し方。
納豆を、深めの鉢に移して、箸で掻き混ぜること305回、さらに醤油を2回に分けて加え119回。計424回混ぜることで、うま味の増加がピークに達し、ふわふわの泡に包まれた、濃厚な味わいの納豆になるというのがものの本に載っていて、北大路魯山人流だったとか。
回数は本当なのかしらね。
それでも、このあいだ見たTVで、そんな話、何回も何回もかき混ぜる方が納豆の味も効能も勝る、夏ばてに最高、とか言っていたわね。
あなたなんかせっかちだから、どうせちょちょこっと混ぜて、ずるずる音を立ててすすって食べているんじゃないの。
それでは通人の魯山人さんとは雲泥の差ね。
「納豆茶漬け」もおいしいらしいけど、わたしは勘弁願いたいわ。
注:「星岡茶寮」は、1945年(昭和20年)には空襲によって焼失した。
その後いくつか変遷を経て、現在、その跡地に「東急キャピトルタワー」が建設され、タワー内でザ・キャピトルホテル 東急が営業している。
「日枝神社」の奥。
ごちそうさまでした。暑いけど、少し歩いてお茶にしましょうか、といっても、今日は暑すぎ。
もっと涼しくなったらゆっくりとお話ししたいですわ。今度は12月かな、って。もう涼しさを過ぎて、寒くなっているかもね。
See You Again.