こまつ座「戦後"命"の三部作」の
記念すべき第一作。
魅力あふれる新しい俳優を迎え堂々上演。
あの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。
だから被害者意識からではなく、世界五十四億人の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」をすることは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。
おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう。
この作品はそのシリーズの第一作である。
どうか御覧になってください。
―――井上ひさし
(「こまつ座」HPより)
梅雨の合間って感じで、日差しはまあまあだけど、けっこう蒸し暑いわね。
久々に六本木にやってきたわ。30年以上昔に住んでいたことがあったのよ、社宅に。
懐かしいところなのよね、私にとって。
ちょっと早めに出てきて、少し歩いてみた。ずいぶん変わってしまったわ。
「俳優座劇場」は近くにいて、初めて。そんなに大きくないのね。でも、昼なのに、満席。女性が多いようね、時間的には。
1948年夏、広島。原爆投下から3年後が舞台。
市立図書館で働く23歳の福吉美津江は、原爆について調べている文理科大学の助手で26歳の木下という青年と出会い、お互いに好意を抱くようになるのよね。
でも、美津江は木下のことを好きになってはいけないと。
美津江が木下に秘かな想いを寄せていることを知った父・竹造は、あの手この手を使って娘の心を開かせようとするんだけど、彼女はかたくなに拒み続けるのね。恋の応援団長として父はどうしたものか? という展開になる。
舞台に登場するのは二人だけ。その父娘のテンポよい掛け合いの中で、原爆の悲惨さ、一瞬のうちに戦時下の市井の生活者の生命を奪い、そして今も続く原爆症で苦しめる原爆という兵器の恐ろしさを声高に叫ぶのではなくて伝えていく、見事なつくりよね。
開幕。いきなり雷鳴の中で父と娘が押入れの中で交わすセリフのやりとりが楽しい。なんで父親が押し入れの中にいるの?
そうそう、親子で交わす広島弁がすばらしかった。広島弁でなくてはいけないのね、井上さんの思いとしては。
最後。木下が収集した原爆投下の悲惨さを物語る、8時15分で止まっている時計、特に父親と同じく顔が焼けただれたお地蔵さんの首などが山積みされた舞台で、父と娘の会話が始まるのね。
瀕死の父はグーを出すぞと言って、娘もグーで応じた。しかし、結局、・・・。
そして、娘は瀕死の父親を見捨ててその場から生き延びた、という罪悪感を持ち続けてしまうのね。
その話に移ったとき、当時と同じように二人はじゃんけんでどちらもグーを出し合うのね。
・・・
竹 造 わしをからだで庇うて、お前は何度となくわしに取りついた火を消(きや)してくれたよのう。……ありがとありました。じゃが、そがあことしとっちゃ共倒れじゃ。そいじゃけえ、わしは「おまいは逃げい!」いうた。おまいは「いやじゃ」いうて動かん。しばらくは「逃げい」「いやじゃ」 の押し問答よのう。
美津江 とうとうおとったんは「ちゃんぽんげで決めよう」いいだした。「わしはグー出すけえ、かならずおまいに勝てるぞ」いうてな。
竹 造 「いっぷく、でっぷく、ちゃんちゃんぶくろ、ぬっぱりきりりん、ちゃんぽんげ」(グーを出す)
美津江 (グーで応じながら)いつもの手じゃ。
・・・
竹 造 (怒鳴る)なひてパーを出さんのじゃ。早う勝って、はよう逃げろいうとるのがわからんか。このひねくれもんが。親に孝行する思うてはよう逃げいや。(血を吐くように)おとったんに最後の親孝行をしてくれや。たのむで。ほいでもよう逃げんいうなら、わしゃ今すぐ死んじゃるど。
短い沈黙。
竹 造 ……こいでわかったな。おまいが生きのこったんもわしが死によったんも、双方納得ずくじゃった。
美津江 じゃけんど、やっぱあ見捨てたことにかわりがない(なー)。うち、おとったんと死なにゃならんかったんじゃ。
・・・
竹 造 わしの一等おしまいのことばがおまいに聞こえとったんじゃろうか。「わしの分まで生きてちょんだいよー」
美津江(強く頷く)……。
竹 造 そいじゃけえ。おまいはわしによって生かされとる。
美津江 生かされとる?
そうした会話の最後に
竹 造 人間のかなしかったこと、たのしいかったこと、それをつたえるんがお前の仕事じゃろうが。そいがおまいに分からんようなら、もうおまいのようなあほたれにはたよらん。ほかのだれかを代わりに出してくれいや。
美津江 ほかのだれかを?
竹 造 わしの孫じゃが、ひ孫じゃが。
このやりとりで、もう涙うるうるになってしまったわ。
ラスト。
美津江 こんどいつきてくれんさるの?
竹 造 おまい次第じゃ。
美津江(ひさしぶりの笑顔で)しばらく会えんかもしれんね。
そのとき、被爆の資料を積み、木下が乗ったオート三輪の音が聞こえてくるのね。
消えていく父の背に向かって、
美津江 おとったん、ありがとありました。
こうして舞台の幕が下りる。・・・
あら、まだ1時間半か、それほど長くないお芝居だったわね。でも、感動的。
いきなり雷鳴。まるでピカドンのように激しくって。それから晴れたり、雨が降ったり、(雨漏りの音が効果的)・・・、
そして終幕の夕日がやさしく差し込むシーン。さすがよね。
すばらしいお芝居だったわ。
このあいだの米朝会談が大きな話題になっているけど、北朝鮮の核廃棄、そして朝鮮半島の平和、東アジア、いや世界の平和実現のために、やっぱり核の問題は重要よ。
唯一の被爆国としての日本は、もっともっと積極的に世界の核廃棄に向けて取り組むべきよね。
なんてちょっと力みすぎてしまったわ。
さて、お茶でもしましょうか。昔からあるお店がこの裏にあるはずよ、たしか「紗絵羅」って言ったかな。そこに行ってみようよ。
「一風堂」っていうおいしいラーメン屋さんもあるけど。
あら、お団子屋さんも昔のままでやっているわ。
そうそう思い出したわ、ここに住んでいた頃、買いに来て、おいくつですか? って聞かれて、つい年齢を答えたってことがあったわ。
また今度ゆっくりと。今日は有り難うございました。
ところで、生前、井上ひさしさんが構想していた「ヒロシマ」・「ナガサキ」・「沖縄」をテーマにした「戦後命の三部作」という遺志を山田洋次監督が引き継ぎ、「ナガサキ」をテーマに制作された映画が『母と暮せば』なのね。こまつ座により舞台化され、今年の10月に上演される予定よ。
※ 台詞の引用は『父と暮せば』井上ひさし(新潮社版)P101~107。
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