(12:34)「犢橋(こてはし)」の宿に向かいます。
旧家の大きな屋敷が目立ちます。
下って、また上りの坂「油作の坂」。
旧道の一部が残っているそうです。お堂の脇の左手の道。
御成街道はほぼ直線に造成されたが、このあたりは工事を担当した村と村の接点で、東に向い工事してきた村と西に向かい工事してきた村とが目測を誤り、直線道として結びつかず、互いに主張を譲らなかったために曲がってしまったとか(「坂道散歩」さんのHPより)。
以下、「房総史譚」HPより
2009年12月25日 (金)
御成街道の犢橋宿を想う
御成街道の「犢橋宿」は、街道沿いに人馬継ぎ立ての業務を行う「問屋場」の他、旅人相手の旅籠屋(渡辺屋・花嶋屋など)・茶屋(新茶屋)・酒屋・駄菓子屋・餅屋・荒物屋など、15軒ほどの店屋がありました。
午後になると、華美な着物を着た「宿場女(飯盛女)」が立ち、行き交う旅人に声をかけ、また、夜遅くまで三味線の音が聞こえていたという。
・・・
「犢橋局」バス停。
実りの秋。
(12:58)「東関東自動車道」の「宮野木料金所」が右手に。
マンション前の巨木。かつてもこんな並木が。
その隣に旧家らしい趣のおうち。
家の塀も道もどこまでも真っ直ぐ。
(13:24)しばらく進むと、「長沼原」交差点。右の歩道が斜めに広くなっています。
向かいは、「住友建機」の大きな敷地。
来た道を振り返る。
ここで、「東金御成街道」は消滅します。元の道は、住友建機、その先の工場地帯、さらに自衛隊の駐屯地の中を一直線で通っていました。
(「今昔マップ」より)
赤い直線が「東金御成街道」(消滅部分)。
行き止まりなので、来た道をそのまま道なりに進みます。
「住友建機」。
この先、「六方町」交差点を右折し、自衛隊駐屯地を迂回して、復活地点へ行くこともできます。
(13:48)が、今回はここまで。バスで「四街道」駅に向かいます。
旧家の大きな屋敷が目立ちます。
下って、また上りの坂「油作の坂」。
旧道の一部が残っているそうです。お堂の脇の左手の道。
御成街道はほぼ直線に造成されたが、このあたりは工事を担当した村と村の接点で、東に向い工事してきた村と西に向かい工事してきた村とが目測を誤り、直線道として結びつかず、互いに主張を譲らなかったために曲がってしまったとか(「坂道散歩」さんのHPより)。
以下、「房総史譚」HPより
2009年12月25日 (金)
御成街道の犢橋宿を想う
御成街道の「犢橋宿」は、街道沿いに人馬継ぎ立ての業務を行う「問屋場」の他、旅人相手の旅籠屋(渡辺屋・花嶋屋など)・茶屋(新茶屋)・酒屋・駄菓子屋・餅屋・荒物屋など、15軒ほどの店屋がありました。
午後になると、華美な着物を着た「宿場女(飯盛女)」が立ち、行き交う旅人に声をかけ、また、夜遅くまで三味線の音が聞こえていたという。
・・・
「犢橋局」バス停。
実りの秋。
(12:58)「東関東自動車道」の「宮野木料金所」が右手に。
マンション前の巨木。かつてもこんな並木が。
その隣に旧家らしい趣のおうち。
家の塀も道もどこまでも真っ直ぐ。
(13:24)しばらく進むと、「長沼原」交差点。右の歩道が斜めに広くなっています。
向かいは、「住友建機」の大きな敷地。
来た道を振り返る。
ここで、「東金御成街道」は消滅します。元の道は、住友建機、その先の工場地帯、さらに自衛隊の駐屯地の中を一直線で通っていました。
(「今昔マップ」より)
赤い直線が「東金御成街道」(消滅部分)。
行き止まりなので、来た道をそのまま道なりに進みます。
「住友建機」。
この先、「六方町」交差点を右折し、自衛隊駐屯地を迂回して、復活地点へ行くこともできます。
(13:48)が、今回はここまで。バスで「四街道」駅に向かいます。
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