おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

126 地形から見た葛西城址

2009-07-24 06:10:47 | つぶやき
 先日、葛飾区から災害マップが配布された。ケース1は、都市型災害・集中豪雨による浸水状況。これは、2000(平成12)年の東海地方の豪雨を想定、下水道処理システムがパンクしてあふれ出す場合。
 もう一つが、中川と綾瀬川が氾濫した場合(100年に一度という想定)の浸水被害の予想。この時には、区全体がほぼ0㍍地帯のために、ほとんどが大きな被害を受けることになる。一方で、浸水がない地域も点在する。
 その地域は、中川左岸(葛飾区南・南東部)のほぼ全域と中川右岸のうち、現在の青戸7丁目付近(青砥駅北東・環七の東側と中川にはさまれた所)に限られている。その他の地域は、大なり小なり浸水する。
 これを見たとき、ほとんどが海抜以下か海抜の水田地帯。水田の中に土盛りをした土地に、家屋などを建てることはなく、はるか昔から中川の右岸・左岸地域のうちでも、土砂の堆積によって他よりも比較的高くなった所に、居を構えたことが類推できる。
 地震等による急激な土地の陥没があったということも考えにくく、青戸の住民は、自然の地形を利用して住居を構え、稲作に励んだといえよう。
 たしかに昭和22年の航空写真(goo)でもはっきりしていて、青戸小学校付近には住宅があって、西側はほとんど田んぼか池、用水路となっている。
 このことから、戦国時代、「葛西城」築造の際にさかのぼっても、あえて浸水が予想される場所につくることは、戦略的にはありえない。
 こう見ると、現在「御殿山公園」「葛西城址公園」とされている場所が「葛西城」であったという証拠にはなりそう。
 ただ、「青戸御殿」は間違いなく存在したと思うが、そこが戦国時代の「葛西城」と直接結びつくかどうかは、検討の余地がある。
 上千葉辺りにあったいう説もあるが、この辺りは完全に水没する地域なのでどうもそうではなさそう。もっと北側にある古隅田川の付近(足立区綾瀬)の可能性は残っている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 読書1「肉体の迷宮」(谷川... | トップ | 127 立石様 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事