おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

越ヶ谷宿。塗師屋。鴨場。・・・(「日光道中」をゆく。その10。)

2016-05-17 22:31:03 | 日光道中

             
 越ヶ谷宿に入ってくると、道沿いに古い家屋が残っています。遠くには「栃木銀行」の建物。都内ではお目にかからない銀行。さすが日光道中です。


 道幅は往時のようですが、すっかり雰囲気は近代的。「越ヶ谷宿」を示す標識は見当たりません。唯一、この幟が。


 「越谷本町商店会」は、「越谷」駅の東側を走る旧日光街道(県道54号線)沿いの商店街だ。瓦屋根の蔵造りが印象的な昔ながらの商家や土蔵が立ち並び、建造物によっては驚くほどコンディションの良い状態で残っている。越ヶ谷宿は江戸時代に整備された江戸・日本橋に次ぐ3番目の宿場町で、慶長7(1602)年に徳川家康が奥州街道(後の日光街道)を公道に指定して以降、道沿いに商家や旅館が次々と建てられ街並みが整備された。

    
                      宿場町の趣きを残す旧商家の「塗師屋」。
 黒い漆喰造りの旧家」(小泉市右衛門家)で、かっては「漆」を扱い、江戸時代には呉服商を扱った商家。
日用品や荒物を扱う「鍛冶忠商店」。
 商店会の中程にある「鍛冶忠商店」は1900(明治33)年に建てられた立派な商家で、屋号からも推察される通り当時は鍛冶屋を営んでいた。現在は日用品雑貨・荒物の販売店として業態を変えて営業を続けており、お盆など季節ものの提灯や菅笠、和紙、藁工品(筵、こも、荒縄)など、店頭に並ぶ商品も趣き深いものが多い。

 越谷名物のくわい饅頭が並ぶ「岡埜製菓店」。昔なつかしい手作りの和菓子がガラスケースに並ぶ「岡埜製菓店」は、1892(明治25)年創業の和菓子の老舗だ。ここでしか味わえない越谷名物の「くわい饅頭」は冬場の限定商品で、軒先に「くわい饅頭販売中」の旗がかかげられると季節を感じるという地元客も多い。
 ところ狭しと金物が並ぶ「木下半助商店」。このほか旅籠の名残を感じさせる佇まいの「白屋旅館」、親子3代昔の味を引き継ぎながら毎日出来たての豆腐を販売している「木田とうふ店」、工芸品のだるまや雛人形、桐たんす屋などの商店が点在しており、江戸を往来する旅人で賑わった当時の日光街道の面影残る街並みが続く。

(以上、案内文は、「越谷本町商店会」HP参照)

    

    

 (10:11)「越ヶ谷本町」の交差点を過ぎると、「元荒川」に架かる「大沢橋」で渡ります。「元荒川」は、旧中山道歩きで通った、熊谷駅の南側・久下付近を源流とする川。左には東武線の鉄橋。「元荒川」を右に進むと、「越ヶ谷御殿跡碑」(市旧跡)があります(訪問は省略)。

    

振り返って望む。

 しばらく進むと、北越谷駅前のライオンズステーションタワーに到着します。さらに5分程行くと、東武スカイツリーラインの高架をくぐります。

本来の旧道はこの道のようです。南を望む。

 道なりに進むと、すぐ目の前は「元荒川」に面した「北越谷第五公園」となります。

    

 路傍には、「道標」と二基の石塔。道標の正面には「青面金剛」、左面には「右 のしま」とあります。
       

 この先に「宮内庁埼玉鴨場」があります。
    

 越谷市大林地区にある宮内庁埼玉鴨場は、明治41年につくられた約10ヘクタールの面積を持つ御猟場だ。
 ここでは、天皇・皇族の方をはじめ、外国からのお客さんなどたくさんの人が訪れて鴨の猟を楽しんでいる。
 そもそもなぜ、越谷に埼玉鴨場があるのだろうか。 それはもともと昔から、元荒川の沿岸のあたりに野鳥がたくさん集まり、 江戸時代には幕府や紀州藩の鷹場があった。 かの徳川家康もここの地を訪れ、鷹狩りをしていたそうだ。 それが明治41年になり、正式に宮内庁埼玉鴨場として創立された。
 鴨は渡り鳥なので、毎年秋になるとシベリア方面からエサを求めに日本へ飛んできて、翌年の春に帰ってゆく。 また飛来してくる鴨も、マガモ、コガモ、オオガモ、オシドリなどと種類が多い。 なのでここ越谷にも、秋から春にかけて数えきれないくらいの鴨が埼玉鴨場に集まってくる。



 昭和32年3月11日の新聞記事によると、この日、天皇皇后両陛下や皇太子、皇族揃って埼玉鴨場を訪れた。 多くの越谷市民は両陛下たちが来ることを知らなかったため、この日は沿道の出迎えが少なく静かだったとのこと。
 最近では越谷も都市化され賑やかさを増しているが、 そのような中でも、越谷市環境保全区域となっている宮内庁埼玉鴨場には、 多くの樹木が生い茂り、自然の緑地帯がまだまだ残っており、非常に貴重な場所になっている。 ただし一般の方は、特別な企画(越谷市の市政移動教室など)以外自由に出入りできないのでご注意を。
※鴨場内部の撮影も禁止されています。

参考文献:「越谷の歴史物語(第三集)」1983年3月15日 越谷市教育委員会
文章:「越谷っ子」特派員:阿部智恵美

HPより)

 鴨場は狩猟期以外には地元住民の見学会なども行っているようです。

「公園」と「鴨場」の位置関係。

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