おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

75 中川船番所跡

2009-06-02 20:41:18 | 中川を遡る

 船番所は、海の関所。正式には、「番所」と呼ばれる。
 現 常盤1-1付近、深川の万年橋の北に置かれていた「深川御番所」「深川御関所」などといわれ、江戸幕府が河川水運によって江戸に出入りする人や物を検査するために、小名木川の隅田川口に設けた関所が、寛文元年(1661年)に中川・小名木川・船堀川の交差する中川口に移転し、「中川船番所」となった。
 現在、史跡となっている「中川船番所跡」と言う名称は、江東区の史跡として登録の際に付けたもの。
 歴史的にも、深川番所・川船番所・深川口人改の御番所、役人は深川船(舟)改之番・深川御関所番など、史料により様々な名称で登場している。また「船」と「舟」という字についても史料には両方使用されている。
 川船による旅人通行の改めは厳格ではなかったが、川船に積まれた荷物については極めて厳しかった。この番所の本来の目的が、商品流通を把握するところにあった。
 重視した物資は米、酒、鮮魚、野菜、硫黄、塩。米と酒は江戸の米価政策に関わり、生鮮食料品は真夜中の通関を許すほどの気の使いよう、普通の関所は、夜間は通さないもの。江戸に入る硫黄、出る塩は、戦略物資として重要視していた。 
 番所の役人には、寄合の旗本3~5名が任命され「中川番」と呼ばれ、5日交代で勤めた。旗本の家臣が派遣されていた。
 小名木川縁に番小屋が建てられ、小名木川を通行する船を見張っていた。
 「中川番所」が置かれた地は、「江戸名所図会」にみられるように、中川と番所の手前を流れる小名木川、そして行徳へとつながる船堀川が交差する地であり、利根川・江戸川を通じて、江戸と関東が結ばれる河川交通上の重要な地点だった。
 江戸時代もなかばになると、江戸の後背地である関東では商品生産が進められ、各地に特産物が生まれた。野田のしょう油、銚子の干鰯のほか、穀物・酒・小間物・呉服など地場産業が発展し、こうした物資はおもに河川交通を利用して運ばれた。
 とくに江戸に入る米・酒・硫黄・俵物・樽物・古銅類・材木類・生魚・前栽物と、江戸から出る米・塩は「御規定物」とされ、通関には一定の手続きが必要とされた。また御規定物以外の品は、船頭が持つ手形と積み荷の照合を行い通した。
 中川番所は、海上交通の関所である浦賀番所とともに、江戸をめぐる河川交通の関所として、重要な役割を果たしていた。
 慶応3年(1867)8月幕府は、中川番所を廃止し、国産会所(産業統制機関)の設置を決定したが、幕末の不穏な政情もあり、中川番を引き続き在番させていた。江戸幕府が倒れると、明治新政府は旧旗本や水戸藩士に番所を防衛させ、通船の印鑑検査などを行わせた。
 明治2年(1869)2月、明治政府は全国の関所の廃止を宣言、5月3日に中川番所は正式に廃止された。(以上、「資料館」資料等による。)
 「資料館」は、その中川番所の近くに2003年に開館した。
 以下、「資料館」の内容

 1.中川番所
・中川番所の再現(ジオラマ)
平成7年の発掘調査と江戸時代後期に描かれた絵画資料に基づき、中川番所をジオラマで再現しています。
・形づくられる江東
近世から現在までの江東区の埋め立ての変遷と河川の整備状況を映像でたどっていきます。
・中川番所の成立
・中川番所の機能と役割
・中川番所の廃止
中川番所の誕生から廃止までの歴史と役割を紹介しています。
・中川番所遺跡出土品
発掘調査で出土した資料を展示しています。

2.江戸をめぐる水運
・河岸とさまざまな物資
・江戸内の物流と行き交う船
江戸と関東周辺を結ぶ河川水運について、どのような物資がどのように運ばれたのかなどをみていきます。模型などで川船の紹介もしています。
・川浚い-小名木川の維持管理
小名木川で行われた川浚いについて解説しています。

3.江戸から東京へ
・水運の近代化
蒸気船の登場などによる水運の近代化の様子を、通運丸の古写真や小名木川のジオラマなどで紹介していきます。
・川と人々のくらし
・小名木川今昔物語
近代から現代の人々の暮らしの変遷、小名木川を中心とした江東区域の川の様子を、古写真を中心に紹介していきます。

* 2と3は企画展を行う際に展示替えとなります。

展望室
旧中川と小名木川の風景、番所跡が展望できます。

 写真は、中川の土手側からみた様子。「資料館」は、見応えのあるものでした。
立派な建物で、小学生や中学生、一般の方もぜひ立ち寄って欲しいものです。
 なお、旧中川を下って小名木川との合流点を少し過ぎた辺り、荒川との合流点に「荒川ロックゲート(閘門)」があります。パナマ運河方式で荒川と旧中川を行き来するためのもの。2005(平成17)年に完成し、防災を目的にしています。


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