おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

74 旧戦車街道

2009-06-01 21:31:51 | 歴史・痕跡
 足立区の西、綾瀬川にかかる綾瀬新橋から東の中川にかかる飯塚橋を結ぶ道路は、かつて「戦車街道」と呼ばれていました。この道は、日立製作所亀有工場への道であることから、戦時中、「日立」では、戦車の製造を行っていたのでしょうか、その走行テスト等にこの道路を使っていた・・・。
 東の中川に架かる飯塚橋は、当時はまだ出来ていなくて、「日立」から西側に向かっていた直線道路だったようです。現在は、環七大谷田陸橋をくぐって西に進みます。飯塚橋は、足立区と葛飾区とを結ぶ唯一の橋で、つねに多くの交通量を抱えています。1950(昭和30)年に架橋されました。
 この「旧戦車街道」に面して、東綾瀬公園という憩いの場があって、その一角に足立区立の「すいすいらんど綾瀬」という区民プールがあります。屋内と屋外の大小さまざまなプールがあり、四季を通して利用できます。こうして今の住宅地や公園などのある市街地に「戦車」が走行していたとは夢のような話です。
 飯塚橋が出来る前は、「飯塚の渡し」があって、江戸時代より続けられ、近隣地域では中川両岸を結ぶ唯一の連絡交通手段として重宝されてきたということです。
 他にも、東京都の八王子市と町田市の境目あたり、多摩ニュータウンのある所にも「戦車道路」と名づけられた道があります。全長8km。これは、相模陸軍造兵廠の専用道路で、戦車の性能テストや操縦訓練のために作られたものだそうで、山中にありながらけっこう太い道で、くねくねと曲がりながら尾根を走っている、とのこと。現在は、「尾根緑道」として整備されているようです。
 写真は、飯塚橋方向を望んだもの。道路の左右がかつての「亀有日立」の跡地。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 73 旧水戸街道・大曲付近 | トップ | 75 中川船番所跡 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史・痕跡」カテゴリの最新記事