吉野弘詩集 「実業」(p96)より
「・・・私は思った。
首を賭けたいと言った紅顔の営業マン
敵を倒そうとしていた若社長の白皙の額
実業紀原始人
徒労を知らぬ実業の
逡巡なきエネルギーの化身を。
そして
かれらとはおよそ異質だった私を。・・・」
例によってぎょっとしてしまうような詩で、「感傷旅行」に収められたもの。
かつて営業マンだったことがある私にとって、とても他人事とは思えない。
私も時折「かれら」のような上司や同僚に遭遇したが、やはり「かれらとはおよそ異質だった」のである。
ここに出てくる営業マンや社長は、「地獄の黙示録」の中でベトコン攻撃に熱狂するビル・キルゴア中佐を彷彿とさせる。
この詩から推察するに、近年猛威をふるっているノックアウト型資本主義の起源は、どうやらチンパンジー(あるいは”実業紀原始人”)レベルの攻撃的本能にあったようである。
「感傷旅行」は1971の発行なのだが、当時既に自己犠牲強要圧力ないし観念上の軍事化が社会に胚胎していたようだ。
「・・・私は思った。
首を賭けたいと言った紅顔の営業マン
敵を倒そうとしていた若社長の白皙の額
実業紀原始人
徒労を知らぬ実業の
逡巡なきエネルギーの化身を。
そして
かれらとはおよそ異質だった私を。・・・」
例によってぎょっとしてしまうような詩で、「感傷旅行」に収められたもの。
かつて営業マンだったことがある私にとって、とても他人事とは思えない。
私も時折「かれら」のような上司や同僚に遭遇したが、やはり「かれらとはおよそ異質だった」のである。
ここに出てくる営業マンや社長は、「地獄の黙示録」の中でベトコン攻撃に熱狂するビル・キルゴア中佐を彷彿とさせる。
この詩から推察するに、近年猛威をふるっているノックアウト型資本主義の起源は、どうやらチンパンジー(あるいは”実業紀原始人”)レベルの攻撃的本能にあったようである。
「感傷旅行」は1971の発行なのだが、当時既に自己犠牲強要圧力ないし観念上の軍事化が社会に胚胎していたようだ。