「アンティゴネー」の中のクレオンの有名なセリフ、「親族を己の祖国よりも大事と心得るような輩も、無に等しい奴だ。」と「この国に仇する者は、断じて自分の友とは見なさぬ。」は、訳し方に工夫が必要だそうである。
というのは、ギリシャ語では、「親族・親しい者」と「友」とは、「プィロン」という同じ言葉で表現されるからである(「誰のために法は生まれた」p217~218)。
したがって、クレオンの矛盾を分かりやすく示すためには、「親族(プィロン)」、「友(プィロン)」という風に訳すべきなのだろう。
ちなみに、「ツァラトゥストラ」第2部・5(有徳者たちについて)にも、次のような、言葉遊びが出てくる。
Und wenn sie sagen:>>ich bin gerecht, >>so klingt es immer gleich wie: >>ich bin gerächt!<<
「彼らが、「私は正しい」と言うとき、それはいつも、「わたしの復讐欲は満たされた」と言っているように響く。」(訳:吉沢伝三郎)
ここも、分かりやすくしようとすれば、「彼らが、私は正しい(イッヒ・ビン・ゲレヒト)」と言うとき、それはいつも、「わたしの復讐欲は満たされた(イッヒ・ビン・ゲレヒト)」と言っているように響く。」という風に訳すべきなのだろう。
というのは、ギリシャ語では、「親族・親しい者」と「友」とは、「プィロン」という同じ言葉で表現されるからである(「誰のために法は生まれた」p217~218)。
したがって、クレオンの矛盾を分かりやすく示すためには、「親族(プィロン)」、「友(プィロン)」という風に訳すべきなのだろう。
ちなみに、「ツァラトゥストラ」第2部・5(有徳者たちについて)にも、次のような、言葉遊びが出てくる。
Und wenn sie sagen:>>ich bin gerecht, >>so klingt es immer gleich wie: >>ich bin gerächt!<<
「彼らが、「私は正しい」と言うとき、それはいつも、「わたしの復讐欲は満たされた」と言っているように響く。」(訳:吉沢伝三郎)
ここも、分かりやすくしようとすれば、「彼らが、私は正しい(イッヒ・ビン・ゲレヒト)」と言うとき、それはいつも、「わたしの復讐欲は満たされた(イッヒ・ビン・ゲレヒト)」と言っているように響く。」という風に訳すべきなのだろう。