町村先生のツイッター
「法そのものが、憲法・法律、それに判例や実務(司法のみならず行政も含む)の一般的規範に従うことと個別救済や変化への対応という例外の創造とのせめぎあいという構図ですから、同調圧力に屈するに類する行動は無下に否定できません。」
「同調圧力」を巡るやり取りだが、法の存在理由についての根本的な誤解があるのではなかと疑われる。
どうやら先生は、法は「命令(禁止)の体系」であると考えており、そこから「同調圧力」の指摘につなげているようだが、この見解には賛成できない。
この見解だと、「集団(徒党)が個人を抑圧する」という、法が最も敵対しなければならない場面において、法を無力化することになりかねないからである。
ちなみに、私の場合、普段の実務において、「同調圧力」が法の作用の一つであると意識することはほぼ皆無である。
「法」=「同調圧力」という発言が学者や実務家から出てしまうような風潮があるのだとすれば、やはり、「誰のために法は生まれた」を法曹関係者は読むべきなのだろう。
「法そのものが、憲法・法律、それに判例や実務(司法のみならず行政も含む)の一般的規範に従うことと個別救済や変化への対応という例外の創造とのせめぎあいという構図ですから、同調圧力に屈するに類する行動は無下に否定できません。」
「同調圧力」を巡るやり取りだが、法の存在理由についての根本的な誤解があるのではなかと疑われる。
どうやら先生は、法は「命令(禁止)の体系」であると考えており、そこから「同調圧力」の指摘につなげているようだが、この見解には賛成できない。
この見解だと、「集団(徒党)が個人を抑圧する」という、法が最も敵対しなければならない場面において、法を無力化することになりかねないからである。
ちなみに、私の場合、普段の実務において、「同調圧力」が法の作用の一つであると意識することはほぼ皆無である。
「法」=「同調圧力」という発言が学者や実務家から出てしまうような風潮があるのだとすれば、やはり、「誰のために法は生まれた」を法曹関係者は読むべきなのだろう。