Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

問題発見能力

2021年09月01日 06時30分00秒 | Weblog
人文主義の系譜 方法の探究 木庭 顕:著
 「ギリシャ・ローマと自分たちの現実との間のこの往復運動は、権威のない準拠点を採るということにおいて既に(超越的権威を排する)政治的・法的観念体系を選択することを意味するが、さらに、準拠点を外に持つ限りにおいて、既に政治や法の基盤を問う営みである。と同時に、この思考は自由の定義であると言ってもよい。如何なる権威に服さないということを念じたとしても、それだけでは何らかの権威に無意識に従っていることを排除しないし、だからといって具体的な反省の手がかりを求めればそれが権威になってしまう。権威にならない手がかりを、権威にならない仕方で参照する、ということが保障されなければならない。」(p6)

 大学3年生の夏学期のこと、私法コースの学生たちが、「木庭先生のローマ法の講義はチンプンカンプンだから、もう出ないことにした」と言いながら次々に脱落する光景を見た。
 こういう人たちは、おそらく木庭先生の問題意識を理解していなかったのではないかと思われる。
 その後、大学院(研究者養成コース)の何人かの知人が、「木庭先生の問題意識を知るためには、これを読むといいよ」と勧めてくれたのが、「岩波講座 社会科学の方法 VI 社会変動のなかの法」所収の「政治的法的観念体系成立の諸前提」という論文だった。
 「人文主義の系譜」には、大幅に補訂されたこの論文が収められており、上で引用したのは今回初出の記述である。
 ここには、人文主義者、さらには紀元前700年のアテネで「政治」を成立させた人たちの問題意識が、極めて分かりやすく表現されている。
 つまるところ、彼ら/彼女らは、「自分たちの現実」が抱える問題を発見する能力(クイズ感覚、ゲーム感覚とは対極にある能力である。)に長けていたのである。
 こうした能力を今いちばん必要としているのが、アフガンの人たちであり、あえて言えば、日本を含むアジア諸国の人たちではないかと思うのである。
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