イサクにとっての「野いちご」、すなわちトラウマは、「反復強迫」(「悲惨で、苦痛でさえあるはずの過去の出来事を、人生のさまざまな段階でくり返しながら、自分ではその出来事を自分が作っているとは気づかず、また過去の体験と現在の状況とのかかわりにも気づかずに続けている強迫」のこと(アメリカ精神分析学会『精神分析辞典』))となって猛威を振るっている。
自我論集 ジークムント・フロイト 著 , 竹田 青嗣 翻訳 , 中山 元 翻訳
「欲動とは、生命のある有機体に内在する強迫であり、早期の状態を反復しようとするものである。」(p159)
「すべての生命体が<内的な>理由から死ぬ、すなわち無機的な状態に還帰するということが、例外のない法則として認められると仮定しよう。すると、すべての生命体の目標は死であると述べることができる。」(p162)
「神経症の精神分析治療の際に現れるこの「反復強迫」についての理解を深めるには、抵抗と戦うことが「無意識的なもの」による抵抗を克服することであると誤解しないようにしなければならない。「無意識的なもの」、すなわち「抑圧されたもの」が、治療の努力に抵抗することはない。自らにのしかかる圧力に逆らって意識化されるか、現実の行動によって放出されることを求めるだけなのである。」(p134)
フロイトの記念碑的な論文「快感原則の彼岸」からの引用だが、天才的な洞察というほかない。
トラウマへの対応として、これを抑圧して無意識的なものにすると、今度は、精神の奥深くに潜んでいた「無機的な状態(死)」に帰還しようとする欲動(死の欲動)を発動させてしまう。
この「死の欲動」が「反復強迫」として出現するというのが、フロイトの仮説である。
考えてみれば、あらゆる生物は、死へと向かうべく、DNAレベルでプログラムされているわけであり、「反復強迫」は、この流れを促進するスイッチが押された状態とみることが出来るだろう。
それでは、このスイッチを切るにはどうすればよいか?
フロイトがこの時点で提示していたのは、「意識化(抑圧からの解放)」又は「現実の行動による放出」である。
自我論集 ジークムント・フロイト 著 , 竹田 青嗣 翻訳 , 中山 元 翻訳
「欲動とは、生命のある有機体に内在する強迫であり、早期の状態を反復しようとするものである。」(p159)
「すべての生命体が<内的な>理由から死ぬ、すなわち無機的な状態に還帰するということが、例外のない法則として認められると仮定しよう。すると、すべての生命体の目標は死であると述べることができる。」(p162)
「神経症の精神分析治療の際に現れるこの「反復強迫」についての理解を深めるには、抵抗と戦うことが「無意識的なもの」による抵抗を克服することであると誤解しないようにしなければならない。「無意識的なもの」、すなわち「抑圧されたもの」が、治療の努力に抵抗することはない。自らにのしかかる圧力に逆らって意識化されるか、現実の行動によって放出されることを求めるだけなのである。」(p134)
フロイトの記念碑的な論文「快感原則の彼岸」からの引用だが、天才的な洞察というほかない。
トラウマへの対応として、これを抑圧して無意識的なものにすると、今度は、精神の奥深くに潜んでいた「無機的な状態(死)」に帰還しようとする欲動(死の欲動)を発動させてしまう。
この「死の欲動」が「反復強迫」として出現するというのが、フロイトの仮説である。
考えてみれば、あらゆる生物は、死へと向かうべく、DNAレベルでプログラムされているわけであり、「反復強迫」は、この流れを促進するスイッチが押された状態とみることが出来るだろう。
それでは、このスイッチを切るにはどうすればよいか?
フロイトがこの時点で提示していたのは、「意識化(抑圧からの解放)」又は「現実の行動による放出」である。