(引き続きネタバレにご注意)
ルンド大学での名誉博士号の授与式の後、イサクは、ようやく今日一日の出来事の意味に気づく。
「一見バラバラに見える出来事が、何かつながりがあるように思えた。」
60年ほど続いたと思われる「悪夢」から、イサクが目覚めた瞬間である。
こうなると、イサクの行動は早い。
その夜、床に就く前に、まず家政婦のアグダを呼んで感謝の言葉を述べ、日ごろの自分の言動が彼女を傷つけてきたことについて謝罪し、さらに遠回しのプロポーズ?の言葉(「そろそろ(下の)名前で呼んでもいいのでは?」)まで飛び出す。
すると、窓の外から若者たちの歌声が聞こえる。
ルンドまで同行してきたサラたちは、これからハンブルクに向かうので、イサクに別れを告げに来たのである。
イサクは、「ありがとう」と謝意を表し、「忘れないよ、また会おう」と惜別の言葉を贈る。
三人の若者達は最後まで朗らかで、イサクの幸福な青年時代の思い出は無垢のままに守られたようだ。
次に、エーヴァルトがパーティーから戻ってくると、イサクは、「マリアンとはどうする?」と尋ねる。
エーヴァルトが、「彼女なしでは生きていけない」と真情を述べたのに対し、イサクが「学資のことだが・・・」と言って貸付金(エーヴァルトが医者になるための学資を貸付金としていたもの)の返済を免除してやろうとした瞬間、マリアンが部屋に入ってくる。
イサクは、マリアンに「ありがとう」と謝辞を述べ、「君が大好きだ」と最大級の愛の言葉を贈る。
だが、エーヴァルトとマリアンがダンスに出かけた後、寝室で一人になると、イサクはまたしても不安に襲われる。
エーヴァルトとマリアンのことがまだ心配であるし、自分の健康状態(心臓の持病があるらしい)にも不安がある。
「心配事や悲しい事があった日は、子供の頃を思い出して心を慰めてきた。今夜もそうしよう。」
と言って眠りにつくと、彼はさっそく夢を見る。
・・・青年時代の夏の別荘。
きょうだいたちが、湖の畔の別荘を出て、いっせいに船に乗ろうとしている。
(イサク以外の9人のきょうだいたちは既に他界しているので、この「船」は、死の世界への旅立ちを意味しているのだろう。)
取り残されそうになったイサクに、若き日のサラが近づき、こう告げる。
「野いちごは、もうないのよ。」
この瞬間、イサクのトラウマ=「野いちご」がついに消滅する。
「あなたのお父さんとお母さんはどこ?」と尋ねるサラに、イサクが「探したけど、父も母も見つからない」と答えると、サラは、「私が手伝ってあげるわ」と言って、彼を岸辺へと導く。
そこには、急いで船に乗り込む子供たちをよそに、のんびりと釣り糸を垂れる父と、その後ろでやはりのんびりと編み物にいそしむ母がいて、イサクに優しく挨拶する。
これ以上はないというくらいの、平和な光景である。
父と母を眺めるイサクの表情は穏やかで、目には泪が浮かんでいるようだ。
そう、父と母は、彼をこの世に導き入れた張本人たちであり、この二人の愛は、イサクという存在の原因なのである。
・・・ここでイサクはいったん目覚め、穏やかな表情で再び眠りに就いたところで、この映画は幕切れとなる。
このラストシーンは、まもなくイサクに穏やかな死が訪れるであろうことを示唆しているが、ブルーノ・ワルターがモーツァルトの音楽を評して言った「人生の終焉の至福」という言葉がふさわしい。
ルンド大学での名誉博士号の授与式の後、イサクは、ようやく今日一日の出来事の意味に気づく。
「一見バラバラに見える出来事が、何かつながりがあるように思えた。」
60年ほど続いたと思われる「悪夢」から、イサクが目覚めた瞬間である。
こうなると、イサクの行動は早い。
その夜、床に就く前に、まず家政婦のアグダを呼んで感謝の言葉を述べ、日ごろの自分の言動が彼女を傷つけてきたことについて謝罪し、さらに遠回しのプロポーズ?の言葉(「そろそろ(下の)名前で呼んでもいいのでは?」)まで飛び出す。
すると、窓の外から若者たちの歌声が聞こえる。
ルンドまで同行してきたサラたちは、これからハンブルクに向かうので、イサクに別れを告げに来たのである。
イサクは、「ありがとう」と謝意を表し、「忘れないよ、また会おう」と惜別の言葉を贈る。
三人の若者達は最後まで朗らかで、イサクの幸福な青年時代の思い出は無垢のままに守られたようだ。
次に、エーヴァルトがパーティーから戻ってくると、イサクは、「マリアンとはどうする?」と尋ねる。
エーヴァルトが、「彼女なしでは生きていけない」と真情を述べたのに対し、イサクが「学資のことだが・・・」と言って貸付金(エーヴァルトが医者になるための学資を貸付金としていたもの)の返済を免除してやろうとした瞬間、マリアンが部屋に入ってくる。
イサクは、マリアンに「ありがとう」と謝辞を述べ、「君が大好きだ」と最大級の愛の言葉を贈る。
だが、エーヴァルトとマリアンがダンスに出かけた後、寝室で一人になると、イサクはまたしても不安に襲われる。
エーヴァルトとマリアンのことがまだ心配であるし、自分の健康状態(心臓の持病があるらしい)にも不安がある。
「心配事や悲しい事があった日は、子供の頃を思い出して心を慰めてきた。今夜もそうしよう。」
と言って眠りにつくと、彼はさっそく夢を見る。
・・・青年時代の夏の別荘。
きょうだいたちが、湖の畔の別荘を出て、いっせいに船に乗ろうとしている。
(イサク以外の9人のきょうだいたちは既に他界しているので、この「船」は、死の世界への旅立ちを意味しているのだろう。)
取り残されそうになったイサクに、若き日のサラが近づき、こう告げる。
「野いちごは、もうないのよ。」
この瞬間、イサクのトラウマ=「野いちご」がついに消滅する。
「あなたのお父さんとお母さんはどこ?」と尋ねるサラに、イサクが「探したけど、父も母も見つからない」と答えると、サラは、「私が手伝ってあげるわ」と言って、彼を岸辺へと導く。
そこには、急いで船に乗り込む子供たちをよそに、のんびりと釣り糸を垂れる父と、その後ろでやはりのんびりと編み物にいそしむ母がいて、イサクに優しく挨拶する。
これ以上はないというくらいの、平和な光景である。
父と母を眺めるイサクの表情は穏やかで、目には泪が浮かんでいるようだ。
そう、父と母は、彼をこの世に導き入れた張本人たちであり、この二人の愛は、イサクという存在の原因なのである。
・・・ここでイサクはいったん目覚め、穏やかな表情で再び眠りに就いたところで、この映画は幕切れとなる。
このラストシーンは、まもなくイサクに穏やかな死が訪れるであろうことを示唆しているが、ブルーノ・ワルターがモーツァルトの音楽を評して言った「人生の終焉の至福」という言葉がふさわしい。