Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ベルイマン流トラウマ対処法(11)

2021年09月18日 06時30分00秒 | Weblog
 「意識化(抑圧からの解放)」又は「現実の行動による放出」のうち、後者が無理なことはすぐ分かる。
 例えば、ジーグフリドからサラを略奪することは、とてもイサクには出来ない。
 そうすると、残されたのは「意識化(抑圧からの解放)」ということになり、フロイトはこれを「自由連想法」によって試みたことが、「ヒステリー研究」などを読むと分かる。
 ここで注意しなければならないのは、「自由連想法」において、フロイトが「言葉」を用いているところである。
 だが、なぜここで言葉を用いる必要があるのか、なぜこれによって抑圧の対象を意識化できるのか、さらに言えば抑圧されているものは一体何なのかについて、「快感原則の彼岸」では十分な説明がなされていない。

われわれはこれまでの研究によって、反復強迫(Wiederholungszwang)はわれわれが以前に記号表現(シニフィアン)の連鎖の自己主張(l’insistance)と名付けたものの中に根拠をおいているのを知りました。」
「この観念そのものは、l‘ex-sistence(つまり、中心から離れた場所)と相関的な関係にあるものとして明らかにされたわけですが、この場所はまた、フロイトの発見を重視しなければならない場合には無意識の主体をここに位置付ける必要があります。
」(弘文堂「エクリI」p11)

 自身が「『快感原則の彼岸』への注釈」と位置付けるこの本の中で、ジャック・ラカンは、「「反復強迫」は、「記号表現の連鎖」が、自ら欲動(自己主張)することによって発生している」と述べ、さらに「中心(自我欲動の発現)は外部(記号ないし言葉)と相関的な関係にあるが、フロイトがいうところの「無意識」の主体は、中心ではなく外部(記号ないし言葉)に位置付けられる」と指摘する。
 つまり、「無意識」は決して自己の内部に存在しているのではなく、端的に言えば「言葉」であって、我々の外部から、中心に対して「記号表現の連鎖」を打ち込んでくるというわけである。
 ラカンによれば、「無意識」が発生する場所は、個人の心の奥底ではなく、「言語」であるということになる(「難解な本を読む技術」高田明典著p222~)。
コメント
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