曽根麻矢子 バッハ連続演奏会BWVⅡ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻[全曲]
「アンジェラ・ヒューイット ピアノ・リサイタル バッハ・オデッセイ」をほぼ毎回聴いてきたが、残念ながら新型コロナウイルス問題のため最終回は中止となっている(<アンジェラ・ヒューイット ピアノ・リサイタル公演中止に関するお知らせ>)。
その際、若干の違和感を抱いたのが、バッハの鍵盤楽器の曲、とりわけ「平均律クラヴィーア曲集」について、ピアノでは音の歯切れが今一つスッキリしないということだった。
この問題が、曽根さんのチェンバロの演奏を聴いてようやく解決した。
どういうことかというと、バッハは、(当然のことだが)この曲をピアノという鍵盤楽器で弾くことは想定しておらず、ましてやラウドペダルの使用は想定していなかったということなのである。
チェンバロの音は、ピアノのように響きが持続しないので、平均律クラヴィーアのように音符が沢山ある曲にふさわしい。
これがピアノだと、前の音が後の音にかぶさってしまい、原意が損なわれてしまう。
これを何とか救おうとしたのが、グレン・グールドの「ノン・レガート奏法」(グレン・グールドの孤高)だったのである。
もっとも、これも「ゴルトベルク変奏曲」くらいまでが限界で、「平均律」あたりはさすがに難しいということなのかもしれない。
「アンジェラ・ヒューイット ピアノ・リサイタル バッハ・オデッセイ」をほぼ毎回聴いてきたが、残念ながら新型コロナウイルス問題のため最終回は中止となっている(<アンジェラ・ヒューイット ピアノ・リサイタル公演中止に関するお知らせ>)。
その際、若干の違和感を抱いたのが、バッハの鍵盤楽器の曲、とりわけ「平均律クラヴィーア曲集」について、ピアノでは音の歯切れが今一つスッキリしないということだった。
この問題が、曽根さんのチェンバロの演奏を聴いてようやく解決した。
どういうことかというと、バッハは、(当然のことだが)この曲をピアノという鍵盤楽器で弾くことは想定しておらず、ましてやラウドペダルの使用は想定していなかったということなのである。
チェンバロの音は、ピアノのように響きが持続しないので、平均律クラヴィーアのように音符が沢山ある曲にふさわしい。
これがピアノだと、前の音が後の音にかぶさってしまい、原意が損なわれてしまう。
これを何とか救おうとしたのが、グレン・グールドの「ノン・レガート奏法」(グレン・グールドの孤高)だったのである。
もっとも、これも「ゴルトベルク変奏曲」くらいまでが限界で、「平均律」あたりはさすがに難しいということなのかもしれない。