Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

「共苦」の正体(2)

2022年07月20日 06時30分12秒 | Weblog
(以下「パルジファル」のネタバレご注意)
オペラ対訳ライブラリー ワーグナー パルジファル 高辻知義 訳
 アンフォルタス「父上!勇士のうちでも高く祝福されたお方!かつて天使たちの訪問を受けられた、純粋な方:ただ死にたいと願った私が あなたにー死をー与えたのです!
 今や神の光栄に包まれて 救い主その人を眼になさる父上、ーあの方に懇願してください、ー主の聖なる血が、仮に一度にせよ、今日/いま、その祝福で 兄弟たちに元気を施して下さるように、彼らに新たな命が授かるように、・・・
」(p117~118)

 もっとも、ニーチェは「パルジファル」の公演を見たわけではなく、台本を読んだに過ぎないようだ。

この人を見よ ニーチェ/著 丘沢静也/訳
 「(「人間的な、あまりに人間的な」を)ほかにも寄贈したが、バイロイトにも2部送った。それと同時に、偶然にも意味があるという奇蹟なのか、私の手もとに『パルジファル』の台本が1部届いた。・・・こうして2冊の本が交差した。ーー私はそこに不吉な音が聞こえたような気がした。まるで剣と剣が交差したような響きではなかったか?」(p134~135)

 この台本からはやや不明確だが、アンフォルタスが聖杯を用いてワインとパンを父ティトゥレルに捧げると、今度はティトゥレルがそれを用いて神に奉仕するという手順のようだ(これをアンフォルタスが止めてしまったので、ティトゥレルは死んだ。)。
 これを受けて、神は、人間たちに対し、「新たな命」や元気を授けるというのである。
 ここに「血食」の構造を読み取ることはたやすいが、今回の演出で感心したのは、「聖杯にそそぐ血は、アンフォルタスの身体から出たものである」という点を明確に打ち出したところである。
 これで、「パルジファル」が人身供犠をテーマにしていることが暴露された。
 しかも、人身供犠に対し、神が報酬を与えるという設定であることから、ワーグナーは、神すらもréciprocité(レシプロシテ:互酬性、相互依存)の原理に拘束されるという思考をとっていることが分かる。
 仮に私が神だったら、「ワーグナーという男はけしからん奴だ!ワシがサディストで、人間どもの行動原理であるレシプロシテなんぞに拘束されるとでも思っておるのか!」といった具体に、怒りを覚えるところである。
 ・・・いずれにせよ、ニーチェがこの作品を最も嫌うのには、相応の理由があるのだ。

 
コメント
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