遺言。 養老孟司/著
「漢字の始まりはアイコンである。アイコンとは「元のものの感覚的な性質を一つでも残した記号」である。
・・・アイコンを徹底して嫌う文化がある。それはイスラム文化である。モスクに行って驚くのは、すべての模様が幾何学模様だということである。これを偶像崇拝の禁止と普通は片付ける。しかしこの場合の偶像は神仏の像に限らない。イスラム社会は先に定義した意味での偶像=アイコンを排除するのである。
・・・「同じ」を繰り返すことで、感覚所与の世界から離脱し、一神教に至ることが可能となる。」(p84~87)
「神」や死後の世界、つまり、不可視の絶対的・超越的な主体、あるいはこの世とは別の不可視の世界の実在を信じる立場を徹底させると、「アイコンの排除」(ざっくり言えば事物の「不可視化」)を経て一神教に至る道が開けるというお話である。
よく、「キリスト教は世俗化されたプラトニズムである」という説明がなされることがあるけれど、「アイコンの排除」という点からは、イスラム教の方が、プラトニズムにより忠実という気がする。
ところで、養老先生のロジックからすると、一神教に属する宗教においては、「感覚所与の世界」への下降は忌避されるべき行為ということになる。
したがって、「印鑑」や「壺」などを崇めること(一種の偶像崇拝)はもちろん、漢字(アイコンを基礎としている)が鏤められた「聖本」を3000万円で売るようなことも、教義に反すると考えられる。
「漢字の始まりはアイコンである。アイコンとは「元のものの感覚的な性質を一つでも残した記号」である。
・・・アイコンを徹底して嫌う文化がある。それはイスラム文化である。モスクに行って驚くのは、すべての模様が幾何学模様だということである。これを偶像崇拝の禁止と普通は片付ける。しかしこの場合の偶像は神仏の像に限らない。イスラム社会は先に定義した意味での偶像=アイコンを排除するのである。
・・・「同じ」を繰り返すことで、感覚所与の世界から離脱し、一神教に至ることが可能となる。」(p84~87)
「神」や死後の世界、つまり、不可視の絶対的・超越的な主体、あるいはこの世とは別の不可視の世界の実在を信じる立場を徹底させると、「アイコンの排除」(ざっくり言えば事物の「不可視化」)を経て一神教に至る道が開けるというお話である。
よく、「キリスト教は世俗化されたプラトニズムである」という説明がなされることがあるけれど、「アイコンの排除」という点からは、イスラム教の方が、プラトニズムにより忠実という気がする。
ところで、養老先生のロジックからすると、一神教に属する宗教においては、「感覚所与の世界」への下降は忌避されるべき行為ということになる。
したがって、「印鑑」や「壺」などを崇めること(一種の偶像崇拝)はもちろん、漢字(アイコンを基礎としている)が鏤められた「聖本」を3000万円で売るようなことも、教義に反すると考えられる。
つまり、霊感商法は、教義の否定となるはずなのだ。