Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

仮面法学部

2022年07月30日 06時30分54秒 | Weblog
第14回 渋谷の午後のコンサート 〈夏を踊る〉
 「エマニュエル・シャブリエ(1841-1894)は、フランスの法律家の家庭に育ちました。幼少時より音楽の才能を発揮しましたが、両親は息子を法学部で学ばせます。卒業するとシャブリエは親の希望に従って内務省に就職しました。これで一安心。両親はそう思ったことでしょう。
 しかしシャブリエは仕事のかたわら、作曲活動を続けました。ワーグナーのオペラ『トリスタンとイゾルデ』上演に接した際、音楽こそが自分の天職であると確信し、1880年、39歳になって役所を退職し、作曲に専念すると決断します。シャブリエのことをアマチュア音楽家だと思っていた友人たちは心配したといいます。
」(公演パンフレットより)

シューマン、ロベルト(1810-1856) プロフィール
 「ロベルト16才の年にその父親が亡くなり、安定した生活を願う母親の希望で法学を選択、1828年にライプツィヒ大学に入学しますが、音楽家への夢を捨て切れず、1830年に高名なピアノ教師、フリードリヒ・ヴィークに弟子入りします。作品番号1の『アベック変奏曲』が出版されたのは、同年のことです。
 
法律学校出身の役人から音楽家に転じ『白鳥の湖』など数々の名曲を生んだチャイコフスキーが生きた時代とは?
 「チャイコフスキーは法律学校を卒業後、いったん役人になりますが、音楽の道をあきらめきれなかったようです。1862年に誕生したペテルブルク音楽院でアントン・ルビンシテイン(1829~94年)に作曲を師事します。

 こうやってちょっと見ただけでも、法学部を出たクラシックの有名な作曲家は結構多い。
 音楽学校などのなかった時代の人もいれば、家族の経済状況などのために法学部に「行かされた」人もいる。 
 ”仮面浪人”にならって言えば、”仮面法学部”である。
 ・・・それにしても、日本ではこういう例が極めて少ないように思われるのは、法学部に入るや否や、「クソな競争」(法学部における犠牲強要とクソな競争)に巻き込まれてしまうからではないだろうか?
コメント
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