「都の僧が東国を目指し、美濃国・赤坂にさしかかると、一人の僧が現れ呼び止め、今日はさる者の命日なので弔って欲しいと頼みます。一体誰を回向するのかと問うと、その名は明かさず、自分を庵に案内します。
庵の中は仏像とてなく、ただ長刀や武具があるばかり。その訳を尋ねると、この辺りは山賊・夜盗が多く出没し、助けを求める人々のため長刀を携えて駆けつけるのですと答え、それは仏のみ教えにも適うことと言って、寝室へ姿を消すと見るうちに、不思議なことに辺りは一面の草むらとなり、松の木の下に世を明かすのでした。
やがて弔う僧の前に、長刀を担いで熊坂長範の霊が現れます。その熊坂こそ弔いの主だったのです。
奥州へ下る金売り吉次一行に夜討ちをかけた熊坂は、逆に一行の中いち牛若丸(後の源義経)に討たれてしまった最期を詳しく語るのでした。」
前半で登場する土地の僧は、面をかぶらない状態で登場する。
シテが面を使用しないという、珍しい例である。
この僧(実は熊坂)が、
「さる者の命日にて候。とぶらひて賜り候へ。」
と回向を所望するが、旅の僧は、
「誰と名を知らで回向はいかならん。」
と難色を示す。
ここで入る地謡のセリフは驚くべきものである。
「御弔ひを身に受けば、御弔ひを身に受けば、たとひその名は名のらずとも、請け喜ばば、それこそ主よありがたや。」
回向の対象となる人物の「名」は関係ないという。
これは、作者不明とされるこの作品の成立当時、「名」を中核的要素とする「イエ」はまだ制度として確立していなかったことと関係があるのかもしれない(あくまで推測)。
さて、70余人の盗賊のトップである熊坂だが、子分のうち13名余りを、牛若子(牛若丸)に殺された。
とはいえ、熊坂本人が狙われたのではないので、そのまま逃げれば命は助かったのだが、彼はそうしなかった。
いったん退散しようとしたものの、思い直し、
「討たれる者どもの、いで孝養に報ぜん」
として牛若子に立ち向かい、逆襲に遭う。
つまり、熊坂は、子分たちの霊の孝養のために、心ならずも犠牲となったのである。
というわけで、「熊坂」のポトラッチ・ポイントは、熊坂が子分たちの霊のために犠牲になったことから、5.0:★★★★★。
ところで、この作品について、作者の意図がどういうものであるかは、観ている人にはすぐ分かったと思う。
ポイントは、牛若子が、ただ強いというだけでなく、捕まりそうになると上にジャンプして見えなくなったり(!)、姿が見えていて両手でつかんだけれども実はそこには居なかったり(!)という、まるで「何でもあり」の展開になっているところにある。
「わたくし、考えますに、
この謡曲の作者は「牛若丸はすごかった!」ということを表現したかった。
牛若丸が秀でた勇ましい武者であったというエピソードが作りたかったわけです。
そのために敵役をどうするか。(中略)
しかし、実在の人物の中では、しっくりくる者がいない。作者は考えた挙句、日本中より腕利きの賊70余人を集合させ統率できた大盗賊「熊坂長範」なる人物を創作したのではないでしょうか。敵は大勢にして大物であればあるほど物語は盛り上がりますしね。
さらに、そんな大盗賊を登場させる舞台として近江・鏡はあまりに都から近すぎる、と考えたのではないでしょうか。都の中央政府の目の届きにくい、権力の及びにくい地の方が、得体の知れない恐ろしい者が出現してもいいように思えます。
それに牛若丸が戦う舞台が都から離れているほうが、彼の健気さや孤独さが引き立ちます。逆境を乗り越えて旅をしているという悲劇性も増しますからね。
そういうことで、東海道と中山道の交わる要所、美濃国西部地方を選びました。
ここなら都からある程度遠いし、人の往来が多いから盗賊が現れやすい。
それに、平治の乱に敗れた父・源義朝が逃れた地でもありました。「赤坂」の隣の宿地「青墓」では兄・朝長が命を落としています。源氏にとって悲劇の地。
だからこそ、その地で、牛若丸を大活躍させたくなった・・・のではないでしょうか。」
この謡曲の作者は「牛若丸はすごかった!」ということを表現したかった。
牛若丸が秀でた勇ましい武者であったというエピソードが作りたかったわけです。
そのために敵役をどうするか。(中略)
しかし、実在の人物の中では、しっくりくる者がいない。作者は考えた挙句、日本中より腕利きの賊70余人を集合させ統率できた大盗賊「熊坂長範」なる人物を創作したのではないでしょうか。敵は大勢にして大物であればあるほど物語は盛り上がりますしね。
さらに、そんな大盗賊を登場させる舞台として近江・鏡はあまりに都から近すぎる、と考えたのではないでしょうか。都の中央政府の目の届きにくい、権力の及びにくい地の方が、得体の知れない恐ろしい者が出現してもいいように思えます。
それに牛若丸が戦う舞台が都から離れているほうが、彼の健気さや孤独さが引き立ちます。逆境を乗り越えて旅をしているという悲劇性も増しますからね。
そういうことで、東海道と中山道の交わる要所、美濃国西部地方を選びました。
ここなら都からある程度遠いし、人の往来が多いから盗賊が現れやすい。
それに、平治の乱に敗れた父・源義朝が逃れた地でもありました。「赤坂」の隣の宿地「青墓」では兄・朝長が命を落としています。源氏にとって悲劇の地。
だからこそ、その地で、牛若丸を大活躍させたくなった・・・のではないでしょうか。」
なかなか鋭い分析である。
このことから、この能をどう観ても牛若子の「強さの理由」が全く明らかにならない理由が分かる。
つまり、作者の言わんとしたことは、
「清和源氏は天皇家の血筋を引いている。だから義経は幼少の頃から強かったんだ!」
に尽きると思う。
明示的には述べていないものの、作者は、牛若子の強さを「血」(ゲノム)の超越的な力に帰してしまっているわけである(”変身譚”の終焉)。
この種の物語については、「進撃の巨人」によって”駆逐”される流れになって欲しいというのが、私の願いである。