多民族国家故に法の支配を優先し、理想を掲げて先頭を走ってきたアメリカ
しかし現在は理想とか倫理観とか正義感よりは、現実の生活の苦しさとか
蔓延する希望を持てない状況を一気に変えると期待できる方に投票した
と今回の大統領選を分析して語った人がいた
株価とか一部の企業収益が好調でも
それを実感できない庶民の感覚(日本と同じだ)
だからこそ、せめて今までと同じよりは変化を求めたとのことだ
不意に10年ほど前に読んだ本を思い出した
「僕たちは親よりも豊かになるのはもう不可能なのか」リヴァフロイモビッチ
内容をあまり記憶していないのは例のごとくだが、この本のタイトルは
今でも強く心に響く
僅かな記憶をたどるとアメリカでは大学を出ても就職先が見つからない
奨学金の返済で四苦八苦している、という悲惨な状況が紹介されていたようだ
そこでフト思ったのが、アメリカのこの状況は民主党政権でも共和党政権でも
実は同じ状況になるのではないのか?ということ
つまりは根本的なところで、必然的にこうなってしまう力が働くのではないか
と思えてしまった
話は飛ぶが「国家はなぜ衰退するのか」という本では、衰退の理由として
少数者の収奪という概念が挙げられていた
この少数者というのを、日本社会で見られたある人に親しい人が得をしている
という人々(悪人?)ではなくて、多数決を保持している政党にロビー活動ができる人々
と考えると、特に悪人という存在でなくてもこの事態は生まれてしまうような気がする
つまりは資本主義とか、多数決による民主主義に内在する問題ではないだろうか?
こんな風に想像したのはおそらく最近読んだ「資本主義はなぜ私たちを幸福にしないのか」
とか「資本主義の宿命」「超訳資本論」などの本の影響だと思われる
この考え方はたとえ一方的に賛同はできないとしても、人がそれらを想像したり
前提として考えたとしても何ら不思議は無いと思える
ということで、現実にはなにも社会に影響を与えることのできない田舎のおっさんが
いま頭の中で想像したのはこんなこと、ということ
資本主義はNHKの「欲望の資本主義」というシリーズで問題提起しているが
どうも唯一無二の存在ではなさそうな気がする
しかし、かといって他の方法が見つかるわけでもない
だからこそ、政治的には全人格的な人物(議員)が四方八方に目を配り
覚悟をもって臨んでもらいたいものだ
大河ドラマ「光る君へ」では一条天皇が中国の故事を学んで
良い政治をしようとするシーンがあったが
それを、つい羨ましく思ってしまう