現在起きている事象とか空気感を過去の出来事と重ね合わせて
考えることはよくあることで、それは人の知恵なのかもしれない
SNSの一つであるX(旧ツイッター)にこんな投稿を目にした
前川喜平さんの以下の投稿
真実と虚偽の戦い、誠実と不実の戦い、寛容と傲慢の戦い、賢明と蒙昧の戦い、
正気と狂気の戦い、そんな戦いが世界各地で起きている。
1930年代が繰り返されるみたいに見える。兵庫県でもそれが起きている。
これはここでも取り上げている兵庫県知事選の異様な出来事を不安視している
内容だが、この投稿に対してある人が以下のような返信を行った
例えば天皇機関説事件ですね。
メインストリームであった学説が、あっという間に「国家への謀反」という世論に呑み込まれてしまった。
ポピュリズムの最悪の事例。
どの候補者が適任かを問うはずの選挙が、選挙に全く関係のない元県民局長のプライバシー問題に
いつの間にかすり替えられている。
ここで出てきた天皇機関説事件との類似性は自分でも感じていた
と同時に歴史の勉強として天皇機関説事件は言葉だけでなく
その歴史的意味を教育しないと駄目だと思う
この天皇機関説事件を引き起こした人物とか団体は
ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」で扱われた
モッブという存在と同じだと個人的には理解している
モッブは暴徒という言葉でイメージを理解できる
単なる小さな集団が威勢の良い言葉や理屈で世の中を混乱に導き
果ては戦争まで引き起こしてしまった
この天皇機関説事件の中心人物は確か戦後に自殺したと記憶している
歴史書がなぜ存在するか?その意味は何か?
と考えると、今こそ人は歴史に真摯に向かい合わなければ
ところで本当に多くの人に読んでもらいたいの本が
写真の右側の「天皇機関説事件」山崎雅弘著
そんなに厚くないし、上手くまとまっているので
今こそ絶好の読むタイミングと思う!