ここ3年ばかりGWはラ・フォル・ジュルネで東京
夏か秋は京都の旅行が定番化しているが
最近仕事と子供のサッカーの繰り返しの生活が
日常になりすぎて新鮮味がないので
今日は急に東京に行ってみた
目的は中古レコードの購入
そして新宿末広亭での寄席の見物
電車に乗るとすぐに睡魔に襲われるので
気づいたときには新幹線はもう横浜
外の景色を眺める楽しみは逃してしまった
東京駅
さすがに人が多い
去年も感じたことだが、この駅は
キャリアの着いたトランクを持っている人の割合が多い
京都でもこのような確率では見かけないような機がするのだが
東京へはみんなたくさんの荷物を持ってやってくるのだろうか
御茶ノ水のレコードショップで
ディープパープル
ローリングストーンズ
エルトンジョンの昔買いそびれたものと
カラヤンのトリスタン
クレンペラーのドイツレクイエム
そしてバーンスタインのニューヨークフィルの
マーラー1番を手に入れた
本当はたくさんの店を見るつもりだったが
面倒になってすぐに決めてしまった
スクランブル交差点で懐かしい全学連が
マイクでアジっていた
女の子が話していたが正直なところ
へたくそだった
途中から男に代わったけれど
自分らの時代のあの熱さは感じられなかった
例の変な書体で書かれたの大きな看板もなかった
その代わり手渡しのビラがあった
多くの人は無関心に通過して行ったが
彼らの話していることには一部の真理があるように思える
それは視野が狭くても不思議と洞察力で
物事の本質を突いてしまう
若者特有の能力によるものかもしれない
アジが稚拙であったとしても
このような人たちが存在することで
若干安心をした気分になれたのは
子供たちをコーチする時の心情と似ているのかもしれない
末広亭には1時頃ついた
満席に近く空きは2階でスタッフの人に連れて行かれて
ラッキーにも座ることが出来た
前来た時は4年位前のGW
その時は空席が目立っていたから
確かに今は落語ブームなのかもしれない
といってもそんなに若い人は見られなかった
(少しはいたけれど大概が40歳以上?)
演じる人もやっぱり大入りだとやりがいがあったり
テンションがあがるとみえて
勢いのあるパフォーマンスが多く見られた
誰が演じて、どうのこうの批評するというよりも
単純にその時間を楽しもうと思っていたので
かえって偏見なく見られて良かった
落語以外にも漫才も結構いけた
演者は舞台の袖に書かれていたが
老眼では見にくくて結局演者は米丸さんしか
知った人はいなかった
この寄席というものは
庶民の心情をストレートに表していて
面白いものだ
肩肘張った建て前の世界というより
弱さ、ずるさ、見栄など普通の人間が
持っている感情を飾らずに口にして
結構たくましい庶民の姿を垣間見せるようだ
それにしても感覚としては東京は
もはや自分にとっては地元名古屋と
そんなに変わりない存在になりつつあるのかもしれない
所要時間が50分と1時間半の違いがあるけれど
(交通費も違うけれど)
割合簡単に行き来できる場所になっている感覚だ
つまり自分の中でもますます都市への集中が
しっかり実戦されているということだ
しかし、それにしても人が多い!
やっぱり疲れてしまうかな
旅は自宅のよさを感じるために行うらしいが
なるほどその通りかもしれない
夏か秋は京都の旅行が定番化しているが
最近仕事と子供のサッカーの繰り返しの生活が
日常になりすぎて新鮮味がないので
今日は急に東京に行ってみた
目的は中古レコードの購入
そして新宿末広亭での寄席の見物
電車に乗るとすぐに睡魔に襲われるので
気づいたときには新幹線はもう横浜
外の景色を眺める楽しみは逃してしまった
東京駅
さすがに人が多い
去年も感じたことだが、この駅は
キャリアの着いたトランクを持っている人の割合が多い
京都でもこのような確率では見かけないような機がするのだが
東京へはみんなたくさんの荷物を持ってやってくるのだろうか
御茶ノ水のレコードショップで
ディープパープル
ローリングストーンズ
エルトンジョンの昔買いそびれたものと
カラヤンのトリスタン
クレンペラーのドイツレクイエム
そしてバーンスタインのニューヨークフィルの
マーラー1番を手に入れた
本当はたくさんの店を見るつもりだったが
面倒になってすぐに決めてしまった
スクランブル交差点で懐かしい全学連が
マイクでアジっていた
女の子が話していたが正直なところ
へたくそだった
途中から男に代わったけれど
自分らの時代のあの熱さは感じられなかった
例の変な書体で書かれたの大きな看板もなかった
その代わり手渡しのビラがあった
多くの人は無関心に通過して行ったが
彼らの話していることには一部の真理があるように思える
それは視野が狭くても不思議と洞察力で
物事の本質を突いてしまう
若者特有の能力によるものかもしれない
アジが稚拙であったとしても
このような人たちが存在することで
若干安心をした気分になれたのは
子供たちをコーチする時の心情と似ているのかもしれない
末広亭には1時頃ついた
満席に近く空きは2階でスタッフの人に連れて行かれて
ラッキーにも座ることが出来た
前来た時は4年位前のGW
その時は空席が目立っていたから
確かに今は落語ブームなのかもしれない
といってもそんなに若い人は見られなかった
(少しはいたけれど大概が40歳以上?)
演じる人もやっぱり大入りだとやりがいがあったり
テンションがあがるとみえて
勢いのあるパフォーマンスが多く見られた
誰が演じて、どうのこうの批評するというよりも
単純にその時間を楽しもうと思っていたので
かえって偏見なく見られて良かった
落語以外にも漫才も結構いけた
演者は舞台の袖に書かれていたが
老眼では見にくくて結局演者は米丸さんしか
知った人はいなかった
この寄席というものは
庶民の心情をストレートに表していて
面白いものだ
肩肘張った建て前の世界というより
弱さ、ずるさ、見栄など普通の人間が
持っている感情を飾らずに口にして
結構たくましい庶民の姿を垣間見せるようだ
それにしても感覚としては東京は
もはや自分にとっては地元名古屋と
そんなに変わりない存在になりつつあるのかもしれない
所要時間が50分と1時間半の違いがあるけれど
(交通費も違うけれど)
割合簡単に行き来できる場所になっている感覚だ
つまり自分の中でもますます都市への集中が
しっかり実戦されているということだ
しかし、それにしても人が多い!
やっぱり疲れてしまうかな
旅は自宅のよさを感じるために行うらしいが
なるほどその通りかもしれない