パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

練習は勝つため?それとも上手くなるため?

2009年08月15日 21時02分32秒 | サッカー
今年は幸い、バカ暑い中で戦わなくて済んだ
恒例の少年サッカーの大会(13.14日)
この大会、体の方が年々しんどくなってきている
(大会運営の方々には暑い中ホント感謝します)

以前は楽しみにさえ思えた大会なのだが
最近は暑い様子を想像するだけでゾッとするような気分になる
それでも、いざゲームが始まるとついつい夢中になって
大声を出して指示したり、、、

もっとも大きな声の指示はどこのチームでも同じ光景
「確かに!」と思うような指示もあれば
個人名を叫んでいるのを聞くと
わがチームにも同じ名前の子がいて
今時の子供の名前の流行が分かる

他のチームの大きな声の指示、
端から客観的に見てると(聞いていると)
少しばかり笑えてきたり、恥ずかしくなってきたりする
自分たちもそんな風に思われているのだろうか?
(仕方ないかな)

いつもそうなのだけれど試合をする事によって
自分たちのチームの問題点がしっかりと把握できる
基本的な技術だけでなく、
ボール保持者にプレスをかけにいかない事
接触プレーを怖がっている様子等は
少しばかり予想外だった

試合で問題点が見つかれば、次には練習によって
それを克服していくというのが常道だが
勝つ為に行う練習という観点からすれば様々な練習方法がある

時々、自分は少数派なのか?と思うのが
この練習の方法についての考え方
ゲームに勝つ為には基本的には、個々のレベルを上げるしかない
と思っている(小学生時代では)
上手くなっていきさえすれば、自ずと勝ちに近づいていくだろう
というのが自分の考え

しかし、どうも巷で聞こえるのはボランチの動き方
3バック、4バックの用語や
対戦相手の偵察により良さをつぶす戦略と
実際にそれを行うような指示

なんだかなあ
子供時代のサッカーはもっと奔放であっていいのでは
エースで4番、ボールを持ったら味方にも渡さないで
ゴールしか見ていないみたいな子
(少なくともそんな意思が見られるような子は)
今大会も見られなかった

一人で打開していっても評価されず
皆で協力していってきれいに決まると
評価される事が多いようだけれど
厳しい試合で頼りになるのは結局は個人の力なのに

だからこそ自分はこの少年時代は個々のレベルアップが
第一と思っている
しかしレベルも、技術の取得スピードも、得意とするプレーも
子供たち皆それぞれに違っている
そんな場合、現実的に勝つ為の練習としては
組織でうんぬんというのは分からないではない

しかし、それでも時間がかかっても、
彼に為に、将来の伸びしろの為に、
個々の技術のレベルアップが絶対必要と思う

だから我々は子供たち一人一人に関心を持って
名前を覚え、特徴、性格を覚え
個々に適切なアドバイスをして
時間のかかる基礎的な事を、その進展具合に気を配りながら
見続けなければならない

そうした練習の成果こそが
試合に勝つ為の方法のような気がする
試合はある面、個々のアドリブに任せるようなところがあっても
いいのではないだろうか

練習した通りに行うというよりは
随所に柔らかな創造性にとんだ、個々の特徴をいかした
試合運びができるのなら
それが一番なのでは






コメント
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