パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

モノの価格

2010年02月10日 21時38分11秒 | Weblog
おそらく人がなんども繰り返す失敗は
「安物買いの銭失い」

昨日のノートパソコンがそうだった!
とまでは言わないけれど
質感、使い心地の面で
「この価格だから仕方ないか」
と自分に言い聞かせているのも事実

モノには適切な価格があるに違いない
単に「市場が決める」だけではなく
確かにかかった材料代、人件費、費用、時間に
儲けを加えて価格とする
そしてその商品は製作者の価値判断により
どこまでこだわり、どこで妥協するかを決める

そこで決めた価格が世間で受け入れられるか否か?
この意味で価格は市場が決めるということになる

ところが現在は売れ筋の価格設定から全てがスタート
逆算によって材料、時間、費用を求める
(利益は確保しておいて)
ところがその利益さえも容易に得らない状況では
必然的にどこかにしわ寄せが来ることになる

肉の偽装、商品の使い回し、そして今回のトヨタの
不祥事も根っこは同じ

「いいものを安く!」
は言葉の上では理想だけれど、実際には
「それなりの価格にはそれなりの商品」
が現実

ここで話は変わるけれど、
以前年配の女性からこんな質問を受けた
「ここに松竹梅の価格の礼服があるとして
 ひとつ買わなければならないとしたら
 そのランクのモノを求める?」

自分
「年に何回も使うもんじゃないから
 一番安いやつ」
女性
「でもこのくらいの歳になると
 人から見られて恥ずかしいものは
 身につけていられないから私は高いものを」
自分
「女性は大変だ!
 たぶん女性同士のチェックが厳しいからなんだろうけれど」
そんな風にその時は思ったが、
今はちょっと違うかもしれない

年齢を重ねると様々な、いいもの悪いものを見て
知らず知らずモノを見抜く目が養われる

一旦いいものを見てしまうと正直なところ
そこまでいたっていない商品を手にするのには
抵抗感があるかもしれない 

素材感、発色、全体の印象
それらは価格の安さだけの判断以上になりえる

何をもって適切な価格とするかは難しい問題だけれど
安ければいい!
だけの社会はそろそろ抜け出さないと
皆が疲弊するだけになってしまう
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