おばあちゃん子だった自分は、新城に2軒あった映画館に
(新城駅に近い方に)よく連れて行ってもらった
覚えているのは「忠臣蔵」「四谷怪談」「新吾十番勝負」
幼かったから自分好みがわかるはずもなく、これらは祖母の好みだったのだろう
忠臣蔵は浅野内匠頭の切腹のシーンをなぜか覚えている
多分「風さそう花よりもなお我はまた春の名残を如何にとかせん」
の歌がなぜこんな時に歌われるのだろうと違和感を持ったのだと思う
四谷怪談は夜にトイレに行くのが怖くなった
(昔はトイレは家の外にあった)
そして新吾十番勝負は「示現流」という言葉が何故か頭の中に残っている
12月14日は忠臣蔵の討ち入りの日
その日は母方の叔母の誕生日でもあった
母方の祖母は叔母に向かって
「お前の生まれたのは討ち入りの日だよ」
と繰り返し言っていたらしい
最近の若い人は「忠臣蔵」とか「松の廊下」とか「吉良上野介」
といってもピンとこないそうだ
「お岩さん」とか「お菊さん」も同様で、殆ど知名度はないらしい
ある年代以上では常識的な知識が全く途絶えているのようだ
そういえば、最近は12月14日になっても「討ち入りの日」
とニュースで伝えることはなくなっている
報道する価値がないとのことだろうが、個人的にあまり好きではない忠臣蔵でも
ある程度の日本人の心情を表すものだから、せめて教養としてこれらの事件は
覚えておいてほしいと思う
(もしかしたらお家大事は、お国大事の心情に繋がり
ある種の危険性があることも含めて)
忠臣蔵が好きではないのは、主君の汚名を晴らすと言っても結果的に何十人もの人物の
命を奪うようなことになっているからで、そんなものは価値あるものとは思えないからだ
尤も、その当時の価値観は今と違うので否応なしにそう行動しなければならなかった
のかもしれない
忠臣蔵については歌舞伎のそれは、本当によくできている作品だと思う
感情に訴えるストーリーがいくつもあって、万人に受ける要素は納得できる
(ただし、物語は江戸時代ではなく前の時代となっている)
忠臣蔵には否定的だが大石内蔵助はやはりそれなりの人だったとは思う
赤穂藩が取り潰しになった時、武士はみんな失業者になるわけだが
藩に蓄えていたお金は低い身分の者に多く分け(今で言う退職金として)
身分の高い者は少なくしたエピソードとか
瑤泉院(浅野内匠頭の奥さん)から手渡されたお金は
使い道をきちんと記録していたとか
つまりは実務家として、人としては立派だったとは思う
でも、そうした記憶は今の人達に伝わっていない
流れ行く時間の中で、人々の中から少しづつ大事ななにかが忘れられていく
最近は12月8日の開戦記念日すら報道されなくなっている
それは、本当に良いことなのだろうか
何でもかんでも過去の事件に当てはめることが良いとは思わないが
それでも、過去の反省を踏まえるには過去のことは知らなくてはならないと思う
(最近はやたらと日本を美化する傾向が多いようで不安を覚えてしまう)
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