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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

悲しい選択

2014年09月20日 14時42分16秒 | あれこれ考えること
体から力が抜けるということはあるものだ
先日の姪の赤ちゃんが亡くなってから
スマホのフォトストリームの最初の画面に
無垢な護ってあげなくてはと自然に思うような写真が
現れると今でも涙が出てきてしまう

何も知らない
まだ目をつむっているが
とても純粋でその存在自体が愛おしくてたまらない
忘れようとしても、ついスマホのフォトストリーム画面に
不意に現れると平静ではいられない

あの日、その知らせを聴いた時
彼女(赤ちゃんは女の子だった)の冥福を祈って
純粋なフォーレのレクイエムをレコードで聞こうと思った
しかし、できなかった
どうしてもそんな気分になれなかった
気持ちが波立っていて、それどころではない
音楽を聴くことが正しいこととは思えなかった

この悲しみは姪や姪の夫、妹夫婦はもっと現実のものとして
存在する
遠く離れてこれほど悲しいなら、彼女らはどれほどだろう

時間が癒してくれる
結局はそれしか手はないのだけれど
どこか心のなかで赤ちゃんの死の意味を
納得したい気持ちがある

旅だった天使に、ついお願いをしてしまった
姪を見守って下さい!と
まだ意識も何もない天使にお願いするのは
理屈の上では変だけれど
それは何故か正しいことのように思えた

赤ちゃんがお母さんを見守る
10ヶ月間一緒に過ごした時間のお礼に
お母さんを見守る
そうしたことはあってもいいのではないか
とさえ思う

そして、またこんな風にも考えた
この子はお母さんに苦労をかけさせたくなくて
旅だったのだと
彼女は生まれる前から心臓に欠陥があると分かっていた
何万人に一人という確率の病気で
生まれてから一週間位で手術をするのだと聞かされていた
 
よくわからないが、たとえ手術がうまく行ったとしても
それからの人生、彼女も姪も大変な心労と苦労を必要としたかもしれない

だからこそ、優しい天使はお母さんに苦労をかけたくなくて
旅立つ選択をしたのだと
その選択は正しいかどうかは分からない
多分、どんな苦労も姪は厭わなかっただろう
でも優しい天使はそれを望まなかったのだと

こんなふうに考えることによって
自分の気持ちを沈めようとしている

あれから一度も姪の家庭に電話もしていない
かける言葉がまだ見つからない
でも、一言伝えたいのは
誰も悪くなかった、、、ということ
姪が自分を攻めるようなことがあったら
何を於いてもそう伝えたい

雪希ちゃん、お母さんを見守って下さいね
コメント
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