パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ついていけなくなった映画

2018年08月08日 05時38分52秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

悪いところが腰なのか股関節なのかよくわからないまま、相変わらずの状態
今後このままだとすると、いつまでも得意のダラダラ生活じゃまずい
少なくともこの状態に慣れるしかない、、と気張って(?)昨日映画に出かけた
その結果、慣れるようになったかといえば、、、、

映画は「ミッション・インポッシブル」
例のごとく場内が暗くなってからの15分間は予告編だ
いつも思うのは、人はこんなにも破壊願望を持っているのか、、ということ
予告編の大半は何かをぶっ壊している
車を使って、あるいは火薬を使って、あるいは自然の力を使って
大きなスクリーンに迫力あるシーンというのは、そうした方法しかないのか、、
確かに大音響と臨場感たっぷりの映像はそれなりに気をひく
でも、正直なところ、、もうついていけない感じだ

ミッション・インポッシブルもやはり何かを壊している
ストーリーもあれこれ二転三転して、登場人物や組織も多いのでよくわからないまま過ぎていく
でもなあ、、、
この手の映画についていけなくなった自分がいて、いちいち批判的に見ていた
殴り合いをして殴られたらダメージがあるので、すぐさま反撃なんかできないのじゃないのか
ビルから飛び降りたり車から放り出されたりしたら、擦り傷や骨折も考えられるが直ぐに立ち上がって走り出す
走っている時もあんなに全力で走ったら疲れるはずなのに疲れ知らずで彼はアンドロイドか
そんなふうに見るのは楽しもうとする気がないのだろう

なんだかな~
年令を重ねるということはこういうことかとも思ったが、
場内は結構シニア世代が多かった(火曜日のファーストショーでは当たり前か)

映画なんてエンタメなんだから、ただ愉しめばいいのだろうけど、それでもこの手の映画はもういいや、、という感じ

ただミッション・インポッシブルの舞台のパリ市街の風景は、それだけは楽しめたかもしれない
何十年も前に着陸前に窓から眺めたパリの町、それはまるで石で作られた町のようだ、、と感じたのだが
改めて、そんなことを思ったことを、思い出した
ちょっと前「セーヌ川の書店主」を読んだが、この映画もパリが主なる舞台だったとは、、少しばかり共時性の
働きがあったかも、、
でも、この手の映画は、もうそんなに見ないだろうな、、

それにしても、座ってて体の体勢を何度も変えなきゃならなかったのは、ちょいと辛かったな
このせいで集中できなかったのかも、、

 

コメント (2)
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