一頃ほどではないが書店には万葉集絡みの本が並ぶ
今のタイミングでこれらの本を購入するのは少しばかり気恥ずかしい
でも、時々気ままにページを開いて時間つぶしには役立つので
先日このシリーズの本を手に入れた(1と2)
画像は二冊目で、令和の出典は一冊目の方にあると帯にある
いくつかあるうちでこのシリーズを選んだのは、書店で立ち読みした時に
現代語訳が読みやすかったからだ
パラパラと見ていくと割合面白いのが歌の前に書かれている何時・誰誰が
どこに行って作った歌という部分で、当時の人たちの生活を感じられる
歴史家たちはきっと歌よりもここに書かれている行動の方に興味があるのだろう
小説のように順番に読んでいかなければならないことはないので、適当に開いて見てみると
知っている名前が出てくる山部赤人とか柿本人麻呂とか、、、
そのなかでこの名前を見る度に気になる人が、坂上郎女だ
たった31文字の歌だが、個性とか感性とか人格とか、、そういったものがそれとなく感じられて
この女性の感情に訴える歌は男の自分でもなんとなくわかるという気を起こさせる
そこでまた一つ感じたことがあった
歌は昔の言葉なのですんなり分かるわけでなない
必然的に現代語訳を見ることになるのだが、それらを読むとどうも味気ない
意味はわかっても余韻がないとか意味がストレートすぎてつまらなく思えてくる
比較すると意味はわからなくても、原文のリズムとか音のほうが豊かな世界が感じられそう
瀬戸内寂聴さんは源氏物語を楽しむには究極的には原文を読むことが良い
と話されことがあったが、なるほどそうかもしれない、、と実感する
ところで坂上郎女の、適当にパタパらして見つけた歌は
我が背子(せこ)に恋ふれば苦し暇(いとま)あれば拾(ひり)ひて行かむ恋忘れ貝
我が背子が着(け)る衣(きぬ)薄し佐保風はいたくな吹きそ家に至るまで
あまり意味がわからなくてもなんだかいい感じ