「100分deメディア論」で紹介されたリップマンの「世論」
この本に紹介された「ステレオタイプ」なる言葉が有名になって、NHKの番組でもそれが取り上げられた
自分たちが自分たちで考えたと思っていることでも、実は前もって与えられたり経験したイメージから
パターン化されたものに従っているに過ぎない(人はイメージ通りに見る)
その与えられた状態への安易な追従は問題がありと(様々な視点から)説いた本と番組では紹介された
ところが読み終えて、読む前に想像したものとだいぶ印象が異なった
正直なところ安易な思い込み(イメージ)からくる危険性を繰り返し記述した本だと思い込んでいたが
実際にはこの本は、アンリ・ベルクソンとマックス・ウェーバーのを混ぜたような本だった
物事の認識への接し方、そこから生まれる心理的傾向、そしてその社会的な意味合い・影響
それらが広範な事例(ほとんどがアメリカの知らない例だったのでよくわからなかったが)から
単に事例の紹介に終わらずに、人間社会の一般化という形に進められていく西欧の特徴的なまとめ方の本だった
巻末にあるリップマンの紹介を読んで、なるほどこの人はギリシア人が教養としていた分野を
内的経験として身につけている人物だと納得した
で、ここからが問題なのだが、この手の本、しかも世界に通用するような本を日本人の社会は
生み出すことができるだろうか
具体的事件の詳細は残すことはできているようだ(松本清張らの真面目な分野の研究?)
しかし、その事件等から想像する人間社会への一般化は、説得力のあるものとして生み出せるか
どうもできないんじゃないのか、、と不安を覚えてしまう
過去に、現在に、世界に通用する知識人というのは日本に存在したのだろうか
作家ではなく社会学とかジャーナリストの世界でオルテガやリップマンに匹敵するような人物は、、、
そもそも日本社会自体がそのような人物を期待していないし、登場したとしても理解できない
(受け入れられない)のかもしれないとの思いを消し去ることができない
愚痴はここまでとして、この「世論」は日本ではどのくらいの数が出版されて、読まれているのだろうか
ちょいとそちらの方も心配(もう廃刊になってるみたいだし)