先日のティーレマンのブルックナーの8番の印象は若い人の感覚に沿ったもの
と思ったが、そうではなくて案外現代的な演奏だったのかもしれない
と思うようにもなった
人は多分一番感じやすい若い時に感じたものをいつまでも記憶に留める
今の若い人は、ベルリン・フィルではカラヤン・アバド・ラトルの演奏を
若いときに聴いて、それをベースに他の演奏を比較する
ところが、自分の若い時はもう一つ前の世代の人々から深い感動を得た
その筆頭がフルトヴェングラーで、テンポの変化が激しすぎてブルックナーらしくない
との批判が多い8番も、初めて聴いたのがこれだったので、そんなものか!
としか思わなかったし、聴いた時は圧倒的な感銘を受けた
特に第三楽章などは、忘我の瞬間や音のカーテンが迫ってくるような錯覚を覚える瞬間など
他の指揮者からは感じられない何かを得ることができた
若い時はいろんなものが新鮮に感じられる
知識はなくても感じることはできる
知識をカバーするような感覚は案外独りよがりではなく
本質をついているようなときもある
そこで、思うのだが感じやすい今の若い人たちが、録音は悪いが
フルトヴェングラーのブルックナーやベートーヴェン、トリスタンや
マーラーの「さすらう若人の歌」を聴いたらどんな印象をもつか聴いてみたい
(多分聴いていないだろうから)
聴いたら、古臭い時代がかった演奏と思うのか
それとも時代を超えて良いものは良いと感じるのか
自分はその体験をしただけで、ずいぶん得したと思っているのだが、、