パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

案外わかってる!

2019年11月21日 19時50分01秒 | 子どもたちのこと

昨日のこと、近くの小学校の授業風景を見に行った
自分らが面倒見ている外国人を親に持つ子どもたちが普段どの様な態度で
授業に臨み、内容を理解しているかどうか(表情を見て)確認したかったのだが
ちょっとした手違いで日本語教室の様子を見ることになった

そこで少し驚いた
自分らの教室ではとても落ち着きのないわがままな子が
とても大人しく割と集中して勉強ができている
先生も優しく接して、彼女も安心して任せているかのよう

このあと心配なやんちゃな3人の2年生の男の子が気になって
終わりがけに授業(体育の時間)を見に行くと
ここでも僕たちは、、とてもいい子風だった(驚いた)

参観のお礼を言って先生方と話すことになったが
「子どもたちは、自分たちの集まりの時は落ち着きが無くて集中して勉強ができない」
というと
「学童でもそうなんですよ。いつも大騒ぎみたい
 子どもたちは学校では社会的な生活をすることを学んで子供なりに緊張している
 それを一日通して子どもたちが持続できるかといえば、、、
  子どもたちはなれない言葉で感情の発露もできないし」

やはりそうなのか
子どもたちは大人と違う
大人の判断で子どもたちを見てはいけない
我慢や忍耐や集中が大人と同じ様にできると勝手に決めてはいけない
このような、薄々感じていたことが、他の現場でも感じていることなのだと認識した

そこで、不意に子どもたちは何を求めて、自分たちの勉強タイムに参加しようとしているのか
自分たちは勉強を見るだけが正しいことなのか、他にすべきことはないのか
子供は本当はあの時間大人に何をしてほしいと思っているのか
と気になった

そこで、6年生の今日は暇そうな男の子に話しかけた
「Gくん、ちょっと相談、教えくれない
 君たちは、ここに来て勉強をすることになっているけど、本当はもっと別のことしたいんじゃない?
 君たちは小学校で勉強して疲れている、大人はまだ頑張れるけど君たち子どもはもう疲れているかもしれない
 それに学校で面白くないことがあって、なにか発散したい気分になっているんじゃない
 もしそうだったら、僕らは少し考えなくちゃならないけど、、、」

「僕に相談?
 僕たちが勉強するのは大きくなって高校とか大人になったとき、ちゃんと生活が会話ができるように
 してることは、わかってる」

びっくりした、これは彼が初めて自分が彼を担当した時、あまりにもふざけた態度でけなした時
室外に連れ出し、大声で彼に言った言葉だったのだ
「何故自分たち大人が、君たちの面倒を見ているか
 それは君たちが幸せになってほしいから
 君たちが普通の生活ができるようになってほしい
 そのためには、少し努力がいる
 我慢して、勉強してほしい、自分らは君たちが幸せになることがうれしい」
具体的には忘れてしまったが、こんなことを子どもが理解できるかどうかは判らずに話したのだった

確かにそのときから(すごく叱られてから)彼の目は少しづつ変わってきたように感じる

そして今日、彼は頼って相談にきた事は面倒というより、頼ってきてくれたことが嬉しいかのようだった
子どもたちは案外わかってる
ただ子どものこと、それはずっと持続しない、、気まぐれで、自分勝手で
でも、肝心なことはどうやらわかってる
やはり真剣に彼らのことを考えていれば、それはなんとなく通じるものだ
と思ったりする(たとえそれが錯覚だとしてもそれは良い錯覚)


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする