パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

隣国を応援出来るのだろうか?

2022年12月03日 09時22分09秒 | サッカー

ワールドカップのベスト16が出揃った
並べてみると流石に強いところが勝ち残っている
その中で気になったのはアジアの国の数
ヨーロッパ、南米に比べて弱小のイメージがあるなかで
どのくらい勝ち残れるか?は次の大会の出場枠に関係してきそう
(次の大会は大幅に出場国が増えるらしいが)

一次リーグの最終戦で韓国が勝ち上がった
韓国の諦めない闘志あふれる戦いは勝敗は抜きにして
いつも好感を持っている
昔ではホン・ミョンボとかパク・チソン
今ではソンフンミンなどは気になる存在だった

結局、アジア枠から勝ち上がったのは日本、韓国、オーストラリアの3国
過去最高の数字らしい
ホッとしたところだ

ところで、人は隣の国とか近い国の応援をするのだろうか?
そんなことを考えるきっかけになったのは、今回出場していないイタリアのある人が
日本がドイツに勝ったことに対して
「出場を逃して興奮することのない今回の大会で興奮できたのはこの試合結果
 日本、ありがとう」
といった内容のコメントを残している
弱者が強者に勝ったと言うよりは、ドイツが負けたことが嬉しいとのニュアンスだ

ドイツが負けて驚きよりも喜んだのはオランダの一部の人もそうだったらしい
オランダはあのヨハン・クライフの時代の決勝で
ベッケンバウアーの西ドイツに負けている
そのことがあるから、ついそんな思いを持ってしまうそうなのはわからないではない

中東の国はイラン・サウジ、カタールを無条件に応援したのだろうか
サウジがアルゼンチンに勝った時はサウジ国内は大騒ぎで
試合翌日は祝日になったそうだが、隣国はその喜びを共有したのだろうか

人の心はなかな素直ではなくて、どうしても嫉妬・妬みの感情が湧き上がってくる
まして隣の国が勝ち残り話題になっているとなれば
それができていない自国に対し鬱憤がたまり
そして良い成績をおさめつつある同じ人種・民族・宗教の隣人に
(それらが似ているがゆえに)羨ましい感情を覚えてしまうのではないか
そしてそれは時として憎しみにもなってしまうかもしれない

妬みとか嫉妬の感情が湧き出るのは仕方ない事実だと思う
肝心なのはそれをどうコントロールするかという点で
勝者に対する賞賛と、敗者に寄り添う感情は
ある意味自ら心の負の部分を抑えることが必要となってくる

この嫉妬とか憎しみの感情は、もしかしたら選手よりは
全くの部外者が大きく持つかもしれない(と予想する)
選手は他人の勝つための壮絶な努力を想像できるから
国の内外を問わず、その努力に対しリスペクトすることが出来る

感情の開放や爆発のような要素のあるワールドカップ
それはルールの中で行われている
その戦いは負けてもリベンジする次の機会がある
この単純な(次があるという)事実は
妬みとか嫉妬をコントロールするのに有効な要素だと思うが、、さて





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