パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

フジコ・ヘミング&ウィーン室内管弦楽団のコンサートを聴いて

2022年12月13日 10時42分03秒 | 音楽

名古屋に向かう列車の車窓から、流れゆく風景をぼんやりと眺めていると
過去のことや後悔、不意に訪れる発見などが頭に浮かび自分の中に沈潜する
電車が好きなのはこうしたボーッとした時間が持てるからだ

音楽(生の演奏)を聴いている時もいろんなことが頭に浮かぶ
過去に聴いたことのある演奏との違い
作曲家の思いへの空想、全く関係のない連想
演奏はぼんやりではなく集中しているが、脳内は自分でコントロールできず
まるで夢のように勝手に連想が羽ばたく

昨日、本当に久しぶりに本格的なコンサートにでかけた

フジコ・ヘミングとウィーン室内管弦楽団の組み合わせのコンサートだ

フジコ・ヘミングは初めて聴く演奏家で、この人の演奏を聴きたいと言うより
とにかく巣ごもり状態から脱出したい気持ちが強かった
だからというわけではないが、この日のプログラムには気をとめなかった
確か前半がモーツァルトの21番のピアノ協奏曲とラ・カンパネラ
後半がベートーヴェンの交響曲第7番の認識で、
会場で配られるプログラムは、あとでゴミになるのでもらわずにいた

隣の席の人がフジコ・ヘミングは最近は脚が悪くて
付き添いが必要になっていると同行した人に説明していた
確かに(その人の言うように)おぼつかない足取りでピアノまで歩いた

さあ、ハ長調の音楽が始まる!と準備していると
なんと音楽は予想したものと違うものが始まった
ピアノ協奏曲の21番は21番でも第1楽章ではなく第2楽章だ
この楽章は映画音楽にも使われたこともあり、綿々とした情緒のある曲だ
2楽章だけなのか、、不思議な思いで聴いていると
この曲は情緒的だけでなく、もっと別の音楽的な仕掛けとか
完成度とか充実があるように感じられた

でも不思議なことにピアノの音は、左手の伴奏を伴った音楽より
右手の単音が印象に残った
モーツアルトの22番とか23番のゆったりした楽章は
ピアノの単音(メロディ)だけで聞かせる傾向にあるが
そのメロディに如何に感情とか思いを乗せることができるかが
奏者の腕の見せどころのような気がした
それは磨かれ抜いた音で、その音を出すために
どれだけの時間がかかったのだろう
音はフジコ・ヘミングの心象風景のような音だった

気なるのは次がどの曲になるのか、という点で
聴衆へのつかみは良かった演奏が終わると
始まったのは一曲目の余韻を継続した曲でゆったりした音楽だ
聴いたことがある、、それはベートーヴェンのピアノ協奏曲5番の第2楽章だった
そうか、気分的にまとまりのある曲でつなぐプログラムか
その方法もありだな、、と妙に納得した

家ではレコードで好きな楽章を抜き出して聴いたりするし
昔のコンサートでは全楽章を再現するより
こうした部分部分を抜き出して演奏されることが多かったらしい
少なくとも気分の連続性はあって、こうしたプログラムは
今後増えるかもしれないと思ったりした

皇帝のあとは、やはりゆったりした音楽で
前の2曲よりは新しい時代の音楽かな、、、と感じさせる曲
後でプログラムをもらって曲名を確認しようとした
(ショパンのピアノ協奏曲第一番の第2楽章だった)

次はピアノ・ソロが続いた
リストのハンガリー狂詩曲第2番
ドビッシーの月の光
リストのラ・カンパネラ
シューマントロイメライ

フジコ・ヘミングはマイクで
足腰が悪くなって上手く弾けないかもしれないと不安を口にしたが
ハンガリー狂詩曲ではちょっとそんな部分が合ったような、、
でもそれは大きなキズではなかった(自分にとっては)
それよりも中間部分だったかには、彼女の心象風景のような懐かしさと
それらと近いうちの別れを覚悟されるような音色・音楽が聞こえた
これは超絶技巧でしられるラ・カンパネラでも感じられたことで
奏される鐘の音は華やかと言うよりはどこか寂しい音だった
鐘は生からの別れの音のように自分には聞こえた

ドビッシーの雰囲気のある聴きやすい「月の光」は、
それでも途中で前奏曲を彷彿とさせる独特の和音(音色)が瞬間流れた
こうした発見が生は面白い

後半の部はベートーヴェンの7番
困ったのは、第1楽章のテーマは年末ジャンボ宝くじのCMに使われているので
その特徴のある音楽が始まると「ジャーンボ、ジャーンボ」
とあのCMが脳内に聞こえて仕方なかったことだ
ここから抜け出すにはちょいと時間がかかった

ベートーヴェンのゆったり目の音楽は美しい(7番は第2楽章)
モーツアルトの美しさとは違う味わいの音楽で
確かに人には精神と呼ばれる分野が存在すると感じさせるものだ

第3楽章と第4楽章は、ベートーヴェンらしいエネルギーに満ちた音楽で
聴いていて興奮する音楽だ
この曲はレコードでフルトヴェングラーの凄まじい演奏
(いつも聴いたあとはすごいな!と声が出てしまう)が
頭にこびりついているので、あの部分はどう演奏するか、、
効果的か、、音色はどうか!とどうしても比較してしまう

でも生演奏は良い
室内オーケストラの小人数のオーケストラでも迫力は十分すぎるほど
最後の音の後は、聴衆の興奮気味の拍手が続いた

ということで久しぶりのコンサートは、大満足
費やした金額は安くはなかったが
これを高いとか安いとかで判断するのは難しい






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