パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

何かで発散しないと、気が滅入りそう!

2024年03月19日 09時33分36秒 | あれこれ考えること

世の中には適度な怒りは必要だと思う
一方的な思い込みによる怒りは好ましいものとは言えないが
それでも怒りのエネルギーは、その強さゆえに意味がないとは言えない

最近怒りを覚えるのは、政治倫理審査会でも問題の人たちの言論
追求が稚拙云々よりもはっきりしているのは
知らぬ存ぜぬという方針を徹底しようとする問題の人たちの意志だ
最初から本当のことを話す気がない人には
自白のような言葉を期待するのは難しい

責任には説明責任、道義的責任、結果責任があるとされているが
彼らはそのどれに対しても責任を果たそうとしないように見える

彼らがそれで良しとする根拠は推定無罪という考え方のように思える
「悪いことをしたとする証拠はあるのか?
    ないなら推定無罪の原則で無罪だ」
推定無罪は刑事裁判で使われる言葉で被告としての有罪が確定するまでは
「推定無罪」の原則に則り、犯罪者のように扱ってはならないとする考え方だが
政治家のような公人に対してこの理屈を使うことは適切なのだろうか

公人である政治家などは、公金の不正使用や私物化などの疑いを
持たれないように、公的記録で潔白を証明する義務を負っている
一般の裁判では「犯罪の疑い」が濃厚でも、推定無罪の原則に基づいて
「無罪」として扱われることがある
それは潔白という意味合いではなく単に「グレーゾーン」との意味でしかない

上記の説明は「詭弁社会」山崎雅弘さんの本に書かれた一部で
まさに現在このテクニックが過度に使用されている気がしてならない

こうした場合、もやもやが鬱積する庶民の怒りはどういう形で現したら良いのか?
となるのだが、それは世論調査で支持率を下げるだけでは十分ではない
もっと強い気持ちを具体的に示すことが必要だ
つまりは選挙において、該当人物に対してキツイ結果をもたらすことが
必要だと思われる

だが、昨日近くの公民館で自民党代議士の国政報告会があったが
その場の雰囲気は、そうしたキツイ結果を出すようには思われなかった
そこに集まった人々は自民党関係の人々だったように思う
少し前に八名地区で行われたものよりは批判的な質問をする人がいたが
どうも「現実論として自民党を支持するのがベター」
と考えている人が多そうな雰囲気だった
自民党の底力を感じることになったが、こうして少しばかり大目に見ることが
日本にとって良いことかは大いに疑問を覚えてしまう

実は帰り道で、「口には出さなかったが代議士は麻生派の人間で
派閥も解消しないグループの人間だ、全部が全部肯定的には思えない」
と本音を漏らす人もいた
あそこにいた人々が報告の後の拍手と異なる判断をするならば
社会は少し変わると思われるが、人の心はどうなのだろう


ところでキックバックをやめるように安倍さんが言い始めたとする話
個人的にはにわかに信じ難いと思っていたが
昨日エックス(旧ツイッター)で、なるほど!と思われる投稿を見つけた
それはキックバック問題が明らかになる前のこと
キックバックを調査している上脇教授という人物がいて
追求されるとヤバいことになりそう、、との誰かから(この誰かが問題だが)
のアドバイスを受けて、安倍さんがやめるように言い出したとするものだ
なるほど、これならあり得ると妙に納得してしまった

もっともこれは逞しい想像の世界のことかもしれないが
そう考えるほうがスッキリするのは、仕方ないと思う

嘘をつこうとする人に、本当のことを話させるのは本当に難しい
最近はこれを痛いほど経験している

まとまらない話



コメント
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